第105回 ブッシュ大統領:21世紀初頭の世界の大不幸

  
  ジョージ・W・ブッシュ氏が21世紀の最初の8年間にアメリカの大統領に選出されていたのは、アメリカだけではなく、世界全体にとって大きな不幸だった、と広く語られる日が来る、とかねがね周囲に言っていました。

  <ステアク・エッセイ>第44回(http://a20e.at.infoseek.co.jp/wssa-essay44.html)の冒頭にはこう書いていました。

  「ブッシュ氏が<史上最低の大統領>という烙印を押される日が近づいています」

  2007年4月29日の<ニューヨーク・タイムズ>の社説を紹介したエッセイでした。

  毎日新聞の<余録>(2008年12月21日)にこんな個所がありました。

  <米国内でもブッシュさんの威信は落ちた。米国の歴史家のネット投票では98%が「失敗した大統領」と認定し、61%が「史上最悪の大統領」と酷評した>

  そんな烙印が押されることを第44回エッセイで予言してはいましたが、正直に言うと、ブッシュ氏の任期中にこんな「酷評」が61%という高い比率で“確定”するとまでは考えていませんでした。

  いえ、驚いてはいないのですよ。“遅かれ早かれ”ということですから…。
  ただ、そう「酷評」したアメリカ人が、ブッシュ氏を二期も大統領に選んでいたのですよ。正当な理由がないままブッシュ氏が(功を焦って)始めた<対イラク戦争>に高い支持率を与えていたのですよ。“皮肉なことだ”と感じないではいられません。

  おなじ<余録>はこうも書いています。

  <本人が「任期中で最大の後悔はイラクの情報の誤りだ」とテレビで語ったのにも驚いた。イラク開戦の理由にした大量破壊兵器が存在しなかったことを最後になって悔やむ。「戦争の用意が私にはできていなかった」などと今さら、何をいうのだろう。8年間のブッシュ時代が終わる。ため息とともに>

  大量破壊兵器に関する「イラクの情報の誤り」は、2003年3月にアメリカ軍がイラクに侵攻して間もなく、だれの目にも明らかになっていましたよね。
  覚えていますか?

  まず、アメリカ軍が砂漠のどこかで、地中に埋められていた(放置されていた)数十本のドラム缶を発見したときのこと?
  アメリカ政府は<ここに(毒ガスなどの)化学兵器工場があったかもしれない>というような発表をしました。
  ですが、TVニュースで見るドラム缶は、化学薬品など詰めていたと思わせるにはあまりにも薄汚れていて、貧相なものでした。案の定、あのドラム缶は毒ガスなどとは何の関係もない、ただの廃物でしたね。

  二つ目は、トゥレイラー。
  <これは化学兵器の移動実験室として使われていた可能性がある>というようなことをアメリカ政府は言いました。
  この大型トゥレイラーも、ニュースで見た限りでは、化学兵器の実験室という言葉が持つ“洗練された”ものからは程遠い、実に粗末でクタビレタなものでした。

  この二つを“重大な発見”として扱うブッシュ政府を見て<この政権は、大量破壊兵器に関する情報は結局何も持っていないくせにイラクへの侵攻に踏み切ったのだ>という確信を新たにしたものです。

  それを「情報の誤り」ですって?

  繰りかえします。侵攻後、あんなものを(一時的だったとはいえ)証拠として担ぎ出さなければならなかったブッシュ政府は、そもそも、何の情報も持っていなかったはずです。

  <初めに侵攻の意図あり>
  情報は、ブッシュ政府が、自分の意図に都合がいいようにでっち上げていたのです。

  「戦争の用意が私にはできていなかった」ですって?
  20万人にさえ近づいているかもしれないイラク人の死。4千人を超えるアメリカ兵の死。

  ブッシュ氏には人間の心がありません。
  世界の動きを洞察し、それに正しく対処する能力がありません。
  “地球上で唯一の超大国アメリカの大統領にはまったくふさわしくない人物でした。

  ブッシュ氏が<世界全体にとって大きな不幸>だったとは、現在その真っ只中にある<世界不況>についても言うことができると思います。
  ブッシュ氏の経済観は(うんと圧縮して言えば、政府がいくら無用な戦争にかまけていようと)<すべて市場の動きが解決してくれる>というようなものでした。
  そうはうまく“解決”してくれないことを、ブッシュ政府は、国民の税金を使って、巨大金融会社や三大自動車メイカーに巨額の資金援助をしなければならなくなるまで、つまりは、その“市場”がほとんど瀕死状態になるまで、認めようとしませんでした。
  遅すぎたようです。

  ブッシュ氏がアメリカの大統領を二期も務めたことは、21世紀初頭の世界にとっては実に不幸なことでした。