自民党の総裁選挙が(福田元官房長官が選ばれて)終われば、事実上休会中の臨時国会が再開されます。
その臨時国会での最大・最重要な争点は、俗に「テロ対策特別法」と略称されている「平成十三年九月十一日のアメリカ合衆国において発生したテロリストによる攻撃等に対応して行われる国際連合憲章の目的達成のための諸外国の活動に対して我が国が実施する措置及び関連する国際連合決議等に基づく人道的措置に関する特別措置法」です。
自民党が望むこの法の延長を、参議院で多数派となった民主党が拒んでいるだけでなく、ほぼ同様の内容の新法案にも反対することを決めているからです。
この法にはいくつか問題があるようです。
第一は、その長い名が示唆している通りには運用されていない点です。つまり、自衛隊によるインド洋上での給油の対象になっている艦船は国連軍のものではないのです。
2001年の米世界貿易センターなどへのテロへの報復として同年10月にアメリカが始めた、アフガニスタンを主戦場とした対タリバン・アルカイーダ戦争に加わっているのは主として、アメリカへのテロは自国への脅威でもあると考えた北大西洋条約機構(NATO)加盟諸国です。
いわゆる<集団的自衛権の行使>です。
それを追って、国連安全保障理事会は決議1368で、アメリカの自衛権と各国の集団的自衛権行使を認めましたが、その承認はあくまでも、次の安保理決議まで有効だという限定つきで、しかも国連の活動だとはされていません。
法の名称が述べているように、いちおう「国際連合決議に基づ」いてはいますが、アメリカが主導するこの戦争を国連はやはりアメリカおよび参戦各国による<自衛権および集団的自衛権の行使>と見ているわけです。
一方、日本国憲法は<集団的自衛権>を認めていません(それを“解釈”を変更して変えようという動きがあります。憲法の尊厳を無視する極めて乱暴な動きです)。
「テロ対策特別法」はそもそも合憲だったのかという議論が残されているのです。
第二は、この法に基づいて自衛隊の補給艦から油を受け取った(最近ではパキスタン船がほとんどだという)艦船がどこでだれにその油を補給しているかが分からないとい点です。
アフガニスタンでの対タリバン・アルカイーダ戦争ではなく、アメリカ(ブッシュ政権)の対イラク戦争に流用されているかもしれないのです。
朝日新聞(2007年9月4日)によれば、海上自衛隊も「日本の油を積んだ補給艦の補給先などは不明で、OIF(アメリカ軍などによる対イラク作戦)への転用の可能性も否定できない」と述べているそうです。
アメリカ(ブッシュ政権)による対イラク戦争はどんな国連決議にも基づいてはいません。
もし、海上自衛隊から給油された艦船が対イラク戦に従事している何者かに油を補給しているとなると、この給油はアメリカの自衛戦争に加担した=日本国憲法に明白に違反した=活動だということになります。
対イラク戦争と対タリバン・アルカイーダ戦争を混ぜ合わせにして「テロとの戦い」と呼んではならない理由の一つがここにあります。
国連が行っているのは、国際治安支援部隊(ISAF)を中心にしたアフガニスタンでの平和活動です。「テロとの戦い」を平和的な手段で進めようというもので、安保理決議1386に基づいて37か国三万六千人が参加しているそうです。日本は加わっていません。
もしこの世界に“よい戦争”と“悪い戦争”があるとすれば、対タリバン・アルカイーダ戦争は、挑まれて開始しなければならなかった“いい戦争”、対イラク戦争は、大義名分がない、愚かな“悪い戦争”です。
ブッシュ政権はその“いい戦争”を始めてまもなく突然(事実上)投げ出し、嘘で固めた情報を基に対イラクの“悪い戦争”に没頭してしまいました。ブッシュ氏の動機はやがて歴史が明らかにするでしょうが、これが戦略上、最大級の過ちだったことはすでに明らかです。
(グリーンスパン前米連邦準備制度理事会(FRB)議長は新たに出版する本の中で、ブッシュ政権による対イラク戦争は“石油ほしさ”で始められたものだ‐と断言しているそうです)
ブッシュ政権は本来追及すべきだった“いい戦争”を軽視し、動機が怪しい“悪い戦争”に突入してしまったのです。
泥沼化したイラクでの戦争を背景に、当時真実の敵であったタリバンとアルカイーダはいま勢力を回復・拡大していると報告されています。
さて、この“いい戦争”のために日本は何もしなくていいのか?
9月13日づけのワシントン・ポスト紙が、海上自衛隊によるインド洋上での給油活動に反対している民主党・小沢代表に再考を促す社説を掲載していました。
補給された油がどこでどう使われているかについては問わないままですが、社説はこの給油活動がアフガニスタンでの「テロとの戦い」を助けていると見方をとっています。その見方から、民主党・小沢代表の姿勢について、社説はこう述べています。
Mr. Ozawa has stepped beyond the bounds of serious debate by denying the legitimacy of the Afghanistan operation itself, announcing, absurdly, that "the U.S. started this war unilaterally without waiting for a consensus to be built in the international community."
「この(アフガニスタンでの)作戦はアメリカが国際社会の合意が成立するのを待たずに一方的に始めた」というおかしな理屈でその合法性を拒み、小沢氏は自らを“まともな討論”ができない人物にしてしまったという趣旨です。
痛烈な批判です。
民主党と小沢代表はこのような批判、あるいは、日本はアフガニスタンで何もしなくていいのかという問いに、こたえなければなりません。
どんなものであれ戦争に“いい戦争”はない‐と積極的に主張するのも(“国際社会”の反応はどうであれ)一つの見識でしょう。
給油活動は軍事行動の一環だから、日本は国際治安支援部隊(ISAF)の平和活動に参加するだけにする‐というのもまた可能な一つの選択でしょう。
海上自衛隊が補給した油が対イラク戦争で使われていないことが明確になれば給油活動を認める‐という方針もありえます。
何もしない、「テロ対策特別法」には、とにかく、ただ反対だ‐というのには、アフガニスタンの現状、タリバンとアルカイーダが世界に与えている脅威を見る限り、無理があるようです。これは“一つの見識”とはいえません。
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