第106回  “溺愛”者には真の姿が見えないもののようで…

  南カリフォルニアから移り住んでいるフィリピンで三度目の“正月”を迎えました。

  けさ(1月6日)はいくらかましでしたが、メトロマニラではみょうに気温が低い日がつづいています。クリスマス前には朝方の最低気温が(観測史上でまれな)摂氏19度を切った日もあったのですよ。
  公式の観測が19度だと、外気が入らない状態の室内の気温は24度から25度ぐらいになるようです。
  25度というと、エアコンを<強>にして寝る夜に想定されるような気温ですよね。
  暑さ慣れしていてブランケットもタオルケットも手近に用意していなかったわたしは、その朝に(いとも簡単に)風邪をひいてしまいました。
  年が明けたいまでも体調はかんばしくありません。
  南国フィリピンでもここまで気温が下がることがあるのですね!油断していました。

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  <ロサンジェルス・タイムズ>紙(2008年12月26日)の<意見>欄でジョール・スタイン(Joel Stein )という人が興味深い考えを述べていました。<Republicans are blinded by love>(共和党支持者は愛で見えなくなっている)というタイトルの文章です。
  スタイン氏自身はリベラルな意見の持ち主で、<国=アメリカを愛する>という点で、共和党支持者や極右の人びとと自分は<ここが違う>ようだということを、いくらか皮肉を込めて、書いているわけです。

  <わたしはアメリカを愛していない。保守主義者は、わたしのようなリベラルな人間にいつもそう言います。彼らの愛の方がより真実で深く、もっと完璧なものだ、と彼らは主張します>とスタイン氏は切り出します。

  保守派のその主張にいろいろと反論はできるのだろうが、スタイン氏はだんだん<しかし、保守主義者は正しいことを言っていると思うようになった>そうです。

  <彼らはアメリカを(自分たち以上に)愛しているのだ。もちろん、わたしたち、リベラルの方は、合衆国に欠点があればそれを指摘することでこの国を改善しようとするのだから、わたしたちの愛のほうが深い、と言うものだ。だが、自分の妻に「君はデブだ」と言うのは愛ではないのだ。真実の愛というのは、世界の中で自分の子は最高に頭がよくて、かわいくて、いちばん魅力的で、その子のためになら自分は喜んで死ねる、というような“溺愛”のことをいうのだ。自分の国についてわたしは、どちらかというと“好きだ”という程度にとどまっている>

  <保守主義者は「アメリカは、この地球上に神がお与えになった最も偉大で、最高の国だ」と言う。愛がどんなものかということを示す明らかな例の一つは、愛のために人は愚かなことしか言えなくなる、ということのようだ>

  <保守主義者は、住む価値がある唯一の国に生まれた自分たちは祝福されていると感じるものだが、一方のわたしは、民主主義が豊かな国に育って幸運だった、と感じるだけだ>というスタイン氏は(そういう国なら)オーストラリアでも英国でも…日本でも…どこでもいいのだ、と言い切っています。

  スタイン氏はまた、自分のことを<何かほかにもっといいアイディアや場所、システムがありはしないか、自分は何かを見逃してはいないか、と常に考えるタイプだ>と言います。<…だが、そういう見方は愛ではないのだ>と。
  “溺愛”タイプの共和党支持者や保守主義者、極右主義者たちへの皮肉が効いていますね。

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  さて、またあの人のこと…。
  大日本帝国とその軍隊が行ったことすべてを肯定しなければいまの日本を愛していることにもならない、と妄信しつづける元航空幕僚長も、このスタイン氏によれば<愛のために人は愚かなことしか言えなくなる>代表的な例となっているようです。

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  この風邪を早く治したいものです。