第180回 聞いていられない 読んでいられない

  日本人の日本語力の低下を心底から憂えています。
  次の二文を見てください。いえ、新聞の記事のいくつかにちょっと目を通すと、このような文にはたやすく出くわしますから、どんなものでもよかったのですが、たまたま手元にメモがあったものですから…。 
  初めの文は、前にも引用したことがあるものです。
  <東京の調布市に仙川(せんがわ)という私鉄駅があって、2本の古い桜が枝を伸ばしている>(2010年4月10日 天声人語
  二つ目は11月26日の読売新聞にあったものです。
  <対象者は100万人近くおり、2011年度税制改正所得税法を改正し、12年の実施を目指す>
  二文ともに、文のつながりが実に貧弱です。論理的にいえば、まったく一貫していません。
  朝日の例では、「私鉄の駅があって」と「2本の古い桜が枝を伸ばしている」とのあいだには、膨大な“空白”があります。本来ならば「私鉄の駅」を説明しなければならない“つなぎ”の位置に唐突に「2本の古い桜」が顔を出して、この文の論理的一貫性を壊しています。「私鉄の駅があって」のあとには、たとえば【その駅前広場の一隅で】というような説明がなければ、「2本の古い桜」がどこにあるのかは分かりようがありません。読者が空想して、その“空白”を埋めさせられているわけです。
  読売の文は、もう、“でたらめ”の領域に達しています。このままでは、論理的には、「対象者」の「100万人」が「所得税法を改正し、12年の実施を目指す」ことになってしまいます。おそらく【政府は、100万人に近いと見られる対象者のために、2011年度税制改正所得税法を改正し、12年にその実施を目指す】というふうに書きたかったのだろうと思われますが、書きたかったことを読者の豊かな空想力に頼ってすませようというのは、それが悪文である証拠です。新聞記者として求められている頭脳の水準に書き手が達していないことをよく示しています。
  いまの日本には、上の二文に見られる類の思考の貧弱さがいたるところで見られます。
  言っていること、主張していることに論理的な一貫性や整合性がないことに気づきさえしない人物だらけなのです。そういう人物がやたらと大声を出しているのに、その非を咎める者もほとんどいないのです。
  国会での“審議”を見ればよく分かります。そんな状況を反映して、というより象徴して、愚かで不毛な言葉の交換がくり返されています。
  尖閣諸島で起きた、中国漁船による海上保安庁巡視船への体当たり事件や「尖閣ヴィデオ」流出への対応が悪かった、と政府を非難する野党が仙谷官房長官と馬渕国土交通相を対象とする問責決議をきのう(11月26日)の夜に行いました。この二人が何故に問責に値するかについてのちゃんとした説明は最後までありませんでした。「値するから値する」と述べておけば、国民の豊かな空想力がその説明不足をカヴァーしてくれるはずだ、という期待に大きく頼っているだけだったわけです。
  そこに見えるのは、「私鉄の駅があって」と言っておけば「2本の古い桜」がその付近にあることが分かってもらえるだろう、と朝日新聞の論説員が考えたのと同様の、論理を無視した“甘え”です。「対象者は100万人近くおり」と書いておけば、そのあとに言いたいことはまあ理解してもらえるだろう、という読売新聞の記者と同等の無責任さです。
  日本人の頭脳がが衰えていることを、このことから感じませんか?
  日本人は論理的で整合性のある思考ができなくなってきているのです。
  電子製品や自動車の分野では、技術やアイディアに関して言えば、日本は韓国にほとんど追いつかれるか追い越されている、という現実があります。日本の産業界は、その競争力を回復しようと、環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)への参加を切実に求めています。ところが、農業界やそこを牛耳っている官界、そこから選出されてきた国会議員たちは、TPPに加わると日本の農業が壊滅すると訴えています。
  さあ、どうするか?政府のとりあえずの結論は「時間をかけて検討する」?
  二つ以上のことを詰める議論がいまの日本人にはちゃんとできないのです。そうするために必要な思考力を日本人は失っているのです。
  言っていることAとBとの関係をちゃんとつなぐことができない頭脳でいったい何ができるでしょうか?
  「日本の少子化はいまや危機的な状況に向かっている」と「このままだと2060年には日本はこんな恐ろしい時代になっているだろう」という二つの図をきちんとつなぎ合わせて対策を講じようという政治家は、いまのところでは、一人もいません。「つなぐ」ことの重要さを誰一人として認識していなようなのです。
  言葉を正しく、論理的に使う、というところから日本人は出直さなければならない、と思います。
  ずさんで思慮を欠いた言葉づかいが日本人をだめにしています。マスコミが日々、それを助長しています。
  あ、思い出しました。…大統領になる前後に、ブッシュ前米大統領がその言語能力を疑われたことがありましたよね。ブッシュ氏の対イラク戦争はその貧しい言語能力に見合う、つまりは、論理性も正当性もない、歴史的な(国際的な見地からは、犯罪的な)大失政でした。戦争当時にブッシュ氏の側近だった人物の中の多くも、あの戦争への突入が誤りだったことを大筋で認め始めています。
  自分自身の思い込みと目の前の現実とを正しくつなぎ合わせてイラク・中東問題を考えることがブッシュ氏にはできなかったのです。
  いまのままでは、日本人は、中国からも北朝鮮からも見下されるだけの、必要なことが何も言えない国になってしまいかねませんよ。世界の貿易戦争について行けない産業二流国に落ちてしまいかねませんよ。
  政府が悪い、野党が悪い、マスコミが悪い、などと言っていられる状況ではありません。日本人は全体で猛省するべきです。
  ところで、問責決議を成功させたり、小沢一郎民主党元党首の証人喚問要求で野党側をまとめたりして“意気軒昂”だと見える自民党のテイタラクぶりはどうでしょう?民主党政府を追いつめているつもりのようですが、自民党への支持率はほとんど改善しません。それこそ“国会軽視”の、旧社会党ふうの“ナンデモ反対”戦術を国民がありがたくは思っていないことの証だと思います。いま日本が抱えている数多くの問題に有効な手を自民党が打とうとしているとはだれも見てはいないのです。若さを売り物にしたかったはずの石原幹事長と山本政調会長代理が過度なスタンドプレイを見せるたびに、この政党には、やはり、明るい前途はない、と感じてしまいます。