第159回 「我が家の記憶をさかのぼる」 1

  父方(江口)の祖母は大分県の小都市で生まれ育ったあと、祖父が住んでいた佐賀市にやって来て、16歳で父を生んだらしい。明治44=1911年のことだ。その小都市を訪ねた祖父が、小柄だったし、まだ子どものように見えていたに違いない祖母を遊び心で口説き落としたものか、祖母が佐賀まで遠い孤独な旅をしたのは、孕んだ子をその父親に育ててもらうためだったようだ。
  逆算すると、祖母は明治28=1895年前後の生まれということになる。さて、その祖母からこんな話を聞いたことがある。「佐賀に嫁いで来てから姑かその母親かに聞いたのだが、佐賀の乱(明治7=1874年)のときは、大八車などに家財道具を積んで佐賀の城下町を人びとが逃げ回ったそうだ」
  学校教育を受けていなかった祖母は、わたしたち三兄弟が親から買い与えれれていた漫画本などを縁側などで、平仮名と片仮名を声に出して一字一字読んで楽しんでいたぐらいで、佐賀の乱が何だったのかについてはあまり分かっていないようだったが、とにかく、自分が生まれる21年ほど前の、明治初期の、日本を仰天させたこの出来事について、現実に乱を体験した、おそらくは明治以前に生まれていたであろう女たちから、そんなふうに聞いていたのだった。
  一方、2006年に95歳で他界したわたしの父の記憶は「祖父に連れられて、佐賀市内の、あちこちのお屋敷によく行ったものだ」というところまでさかのぼる。父の祖父という人は、父の生まれ年から計算すると、やはり、江戸時代末期の生まれだったと思われる。つまり、父は、江戸時代に生まれた人物に日ごろ、かわいがられていたわけだ。
  「お屋敷に行った」というのは父の祖父が大工だったかららしい。いまでいうハンディーマンのような仕事をさせてもらっていたようだ。わたしたち兄弟三人が戦後まもなく生まれた佐賀市内の二階建ての借家には、時代劇で江戸の大工が肩に乗せて歩く、あの大工箱が、数々の道具とともに昭和26=1951年ごろまでは、まだ残っていた。
  「我が家」になんとか語り継がれていまも残っている記憶には、こういうふうに、NHK大河ドラマ龍馬伝」で再び人気が高まっている、あの坂本竜馬が活躍していたころの江戸時代に生まれた人たちも含まれているということだ。
  わたし自身には子がないので、六人の甥っ子たちに、近いうちに、そんな我が家の記憶を伝えておこうと思っている。