第145回 検察の「説明責任」は?

  <小沢一郎民主党幹事長の資金管理団体陸山会」の土地購入を巡る事件で、東京地検特捜部は16日午前、同会の元会計責任者で小沢氏の公設第1秘書・大久保隆規被告(48)(西松建設の違法献金事件で公判中)を政治資金規正法違反(虚偽記入)容疑で逮捕した><特捜部は15日夜、同会の事務担当者だった石川知裕衆院議員(36)(民主)と、石川容疑者の後任の事務担当者だった池田光智・元私設秘書(32)も同法違反容疑で逮捕しており、この事件の逮捕者は計3人になった>(2010年1月16日14時56分 読売新聞)

  日本では、政治家の(元)秘書官などによる政治資金規正法違反(多くは、実は、収賄や斡旋、あるいは脱税などの容疑)で検察が関係者から事情聴取を始めると、ましてや、(元)秘書官などを逮捕したりすると、検察の代理人でもあるかのように、マスコミが(野党政治家よりも先に)一斉に、該当する政治家に「説明責任を果たせ」と迫ります。  
  検察が捜査を始めてしまえば、問題の政治家は、いつか自分が参考人、やがては容疑者として捜査の対象となるかもしれない状況の中にあるというのに。マスコミへの「説明」を間違えれば、自分に不利益な情報を自ら検察に提供することになりかねないのに。自分を犯罪者にしてしまいかねないのに。
  そんな“危険”を冒す「責任」が政治家(に限らず、日本国民)に本当にあるのでしょうか?
  黙秘権を含めて、法のあやふやな執行から自己を守る権利が日本人には認められているのではありませんか?
  
  「苦言熟考」は以前に…
  <いまどんな政党に属しているにせよ、小沢代表は自民党内で育った、自分を磨いてきた、自民党的な体質・思考方法を骨身に染み込ませた政治家です。党内民主主義だとか“開かれた政党”だとかいう概念が理解できない人物です>と書いています(http://d.hatena.ne.jp/kugen/20090304/1236163192)。
  <ですから、小沢氏が総額3億円とも言われる“献金”を西松建設から受けていた−と聞いても<あり得ることだ>と思いますし、次の総選挙で本気で政権を奪取したいのなら、民主党はやはり、もっと早く小沢氏を代表の座から下ろしておくべきだった−と感じています>とも書きました(http://d.hatena.ne.jp/kugen/20090624/1245802750)。

  しかしながら、(問題の4億円の出所に関して)小沢民主党幹事長がいくら“クロに近い灰色だ”からといって「説明“責任”を果たせ」と言い張るのは、小沢幹事長を“有罪”だと決めつけたうえでの、マスコミによる無責任な“自白強要”ではないでしょうか。
  それが参考人であろうと、容疑者、被告であろうと、その人物は、裁判で“有罪”が確定するまでは“無罪”であると推定されるのが決まりであったのでは?

  いや、マスコミが政治家に「説明せよ」と求めるのも「秘書に対するこれだけの嫌疑だ。説明できないのなら、倫理的責任を取って辞任(辞職)しろ」と主張するのもかまわないと思います。政治家に高い倫理を求めるのもマスコミの“崇高な”役割の一部でしょうから。
  ですが、「説明“責任”」を果たせ?

  この“責任”が何を根拠にしているかをマスコミはいまだに説明していません。説明するのを見たことも聞いたこともありません。嫌疑をかけられた人物を追い込むための便利な“道具”として、流行語のように使っているだけです。
  あれも「天下り」、これも「天下り」と、その定義も示さずに大騒ぎをしたのと同じ、無責任な、扇動に近い報道・論説のやり方です。

  政治家が「説明」しなければ、「やっぱり」と思う国民=有権者もいるでしょう。そう思って、検察の捜査の進展状況とは別に、次の選挙でどう投票すべきかを考えるでしょう。
  「辞任(辞職)」しなければ、政治家のその選択をどう受け止めたかを国民=有権者は次の選挙で示します。
  民主主義とはそういうものではないのですか?
  マスコミの、根拠を欠いた、扇動はいりません。
  
  そもそも、マスコミによる「自白強要」に応えて「説明責任」を果たした政治家がこれまでに一人でもいましたか?
  辞任(辞職)はありました。自殺もありました。
  しかし、もともとありもしない「説明責任」を、マスコミが求めるとおりに果たした政治家がかつていたという記憶は、少なくとも、わたしにはありません。

  政治家にしろ、その秘書官などにしろ、ある人物を犯罪者にしようというのだから、「説明責任」を果たさなければならないのはむしろ検察の方でしょう?
  「情報の小賢しい小出しはやめて、かけた嫌疑には動かぬ根拠があることを堂々と立証すべきだ」「政治資金規正法に違反する虚偽記載を容疑者はすでに認めている。さらに大騒ぎしたあとで<政治家が関わる収賄事件としては“証拠不十分”だった>ではすまない」などと、マスコミは検察を高所から“叱咤激励”すべきです。
  
  次の記事を読んでください。
  <「まさに今日逮捕しなければならない緊急性があったということだ」。東京地検特捜部の佐久間達哉部長は十五日夜記者会見し、「緊急性」という言葉を強調しつつも、逮捕理由の詳細な説明を避けた。小沢一郎民主党幹事長側の土地購入に使われた四億円の原資についても一切答えなかった><佐久間部長は「政治資金収支報告書に虚偽記載された四億円の性質や、どういう色の付いた金なのかは、現時点でコメントを控えたい」と繰り返した>(東京新聞 2010年1月16日 朝刊)

  人ひとりを逮捕しておいて、検察が「現時点でコメントを控えたい」?
  嫌疑がかけられた政治家が同じことを言うと「説明責任を果たせ」と執拗に食い下がるマスコミがここでは簡単に、黙って引き下がっています。

  国民にとって実に不幸なことに、日本のマスコミは検察の“下っ引き”にまで身を落としてしまっています。