第140回  鳩山首相の“優柔不断”?

  古い話です。1983年の春に、ある真珠卸商の男性にこんな体験談を聞きました。なにしろ四半世紀以上も前のことですから、すべてが聞いたとおりというわけではありませんが、大方のところではこんなふうでした。

  ある日、バッグに詰めた真珠を抱えて、男性は香港に向かいました。二泊三日の旅です。男性は<自分が扱う良質の日本真珠なら、香港で立派な真珠宝飾品になる><買ってくれる宝飾品メイカーが必ずあるはずだ>と信じていました。
  宝石業界の日本人友人が紹介してくれたメイカーの一つを男性は訪ねました。メイカー側は比較的に若い人物が<自分が担当者だ>と言って、相手をしてくれました。<たしかに良い品質の真珠で、粒ぞろいもいいし、値段も悪くない>などとこの“担当者”は日本人卸商を喜ばせました。ところが、長時間の品定めのあと、商談をいざまとめる段になると−。“担当者”はこう言い出しました。<ただ、わたしの一存では決められない。午後に、上司に会わせるから、この上司と話して決めてほしい。ついては、あなたの言い値のとおりに買ったとなると、わたしも顔が立たないし、上司も納得しないだろうから、XXパーセント引きの値段で話をまとめてくれないか>
  日本人真珠商は<XXパーセントぐらいならいいか。とにかく初めて取引する相手だし>と考え、“担当者”の要求を呑みました。
  午後になって会った“上司”も男性の真珠を気に入りました。ただ、話が詰めに差し掛かると<いやあ、日本の真珠はいい。買いますよ。ただ、わが社に購入費がいまいくらあるかは重役しか分からないから、あす出直してください。で、その際には、わたしの顔を立てて、もうXXパーセントだけ値引きしてくださいよ。重役も決断がしやすいでしょうから>と、“担当者”とほとんど同じことを言い出しました。
  話の展開の仕方は気に入らなかったのですが、男性はすでに丸一日、この宝飾品メイカーで時を過ごしていまいした。求められた値引き額は大きなものになっていたものの、ほかのメイカーと新たな商談を翌日に始める手間ひまを考えれば受け入れるしかない、と思いました。
  その翌日、日本人卸商は“重役”と会いました。しかし、この人物の言い分は、あろうことか、それまでに詰めていた値引き幅ではまだ“社長”を納得させられないだろう、というものでした。
  <あすの昼間には香港を離れなければならない>日本人真珠商は、やっと“社長”と商談したときには、原価を大きく割らずに換金できれば“儲けもの”というところまで追い込まれていました。

  「すごいですよ、中国人の商売のやり方は。いかにも買うようなことを言って、こちらを嬉しがらせておいて、最後のところで値引きしろという。何層もの社員が後から後から出てきて、同じことを平然と繰り返す。神経戦に負けてしまって、あとはどうにでもなれ、とまで思わせられてしまいましたよ」。男性は体験談をそう締めくくりました。

  沖縄の米軍基地の移転問題に関して鳩山首相の評判が悪い。

  「普天間移設 年内決着へ首相は再考せよ」(12月4日付・読売社説)
  <鳩山首相は従来、「日米の合意は重い」「沖縄の思いが大事」などと繰り返してきた。米国も、沖縄県も、移設先の名護市も、現行計画による早期決着を切実に求めている。首相は再考すべきだ>
  <米政府が今後、首相と日本政府に対して、不信感を一段と募らせるのは確実だ。作業部会で前向きの結論を出す機運も低下するだろう。日米関係全体に与える悪影響は計り知れない>

  鳩山首相の“優柔不断”や“決断力の欠如”が日米関係を危うくする−という主張です。まるでアメリカ政府の公報でもあるかのような論調ですね。

  でも、そうでしょうか?
  沖縄の“基地(移転)問題”というのは、互いに同盟関係にはありますが、要するに、日米政府間の“交渉”をどうするかということなのですよ。
  “交渉”というのは、片方がこう言い、相手方がああ言う、という具合に進むものでしょう?
  一方的に<アメリカ側の言い分を聞け><聞かないと、ひどい目にあわせられる>というのは、自民党政権時代ではどう受け取られていたかを問わずに言うと、“交渉”ではありません。

  鳩山首相の“指導力”や“決断力”を疑う主張を読んだり聞いたりすると、1983年に聞いたあの真珠商の話を思い出します。
  鳩山首相は<あの宝飾品メイカーの中国人たち>にも負けないぐらい“交渉上手”なのではないか−とさえ感じます。

  “問題”早期解決を迫るアメリカ側には<あす日本行きの飛行機に乗らなければならない>ような、時間的な逼迫があるのではないか。鳩山首相はそのことを知っているのではないか−。
  <あのう、連立相手の民社党があれこれ言うものだから−><沖縄のここではこう言っているし、あそこではああ言っている。どちらの言い分も重い>などと、一見なさけないことを口にしながら、実は、アメリカ側が“値引き交渉”に応じるのを首相は待っているのではないか。

  東京新聞のコラム<筆洗>(11月5日)がこんなことを書いていました。
  <▼少し前、この問題を扱った米紙ワシントン・ポスト(電子版)の記事の中である日本問題専門家が語っている。「(これまでは)米国人が『これで話は決着だ』と言い日本人が『Ah soo desu ka』と答え、それでおしまいだった」▼米国にはいつも「あー、そーですか」と頷(うなず)いてくれた「ものわかりのよい日本」の変貌(へんぼう)が衝撃なのだろう。鳩山首相はさらに日米地位協定在日米軍への「思いやり予算」の見直しも明言しており、米側の一層の姿勢硬化を恐れる声が政府内にもあるようだ▼だが、鳩山さんは日米関係重視、同盟堅持を言明しているのだから外交政策の転換でも何でもない。むしろいつも「あー、そーですか」でないと、すぐぐらつくような関係の頼りなさの方が問題だろう>

  まったく同感です。
  いつも<最近(政権交代後)の日本のマスコミはおかしい>と書いていますが、こういう冷静な論を張ることができる人物も稀にはいるのですね。安心します。
  上の読売の社説が、しばらく前に<自民・民主の大連立>を実現させようと躍起になっていたことを急に思い出してのことでしょうか、何の説得力も根拠もないまま、次のような戯言を唐突に吐いているのと比べてください。
  <社民党の福島党首は、政府が現行計画を決定した場合、政権を離脱する可能性を示唆している><社民党が説得に応じず、連立政権を離脱した場合、一時的に政権運営は不安定になるが、乗り切れないほどではあるまい><重要な法案や政策については、自民党など野党に個別に協力を要請し、連携するといった工夫をすることで、政権を運営していく手法も十分検討に値しよう>

  いえ、鳩山首相はただ“優柔不断”なだけの人物なのかもしれませんよ。
  ですが、日米関係のちょっとぐらいの“ぎくしゃく”に、大新聞を含めて、日本中が震え縮み上がるというのはみっともないのでは?首相の“優柔不断”よりはこの“みっともない反応”の方が、日本あり方を考えれば、うんと大きく“懸念されるべき問題”です。

  ついでに言えば、この問題の、アメリカ側の要求に沿った“早期決着”を主張する報道機関は<多くの意見が混在する沖縄県民を自分だったらどう説得するか>を明確に述べてもらいたいものですね。<沖縄県民の、基地撤去という悲願よりは安定した日米関係の方が重要だ>と考える、りっぱな根拠を挙げてもらいたいものですね。
  あれだけの基地が首都圏のど真ん中、たとえば、横浜市にあっても、同じ神奈川県内への移転が主張できるかどうかについても考えてから自論をまとめてもらいたいものですね。