日本のマスコミはいったいいつまで的外れなことを言いつづける気なのでしょう?
たとえば−−。11月18日の読売新聞の社説<首相偽装献金 「検察に任せる」は通用しない>を読んでみましょう。
書き出しは<鳩山首相の資金管理団体をめぐる偽装献金問題が、大きな広がりを見せている>と始まって<「すべて検察の捜査に任せている」という首相の言い訳は、もう通用しない。首相は、早急に国会の場か記者会見で、知り得る限り、問題の全体像を公表すべきだ>とつづいています。
ですが、<大きな広がりを見せている>となぜ<早急に国会の場か記者会見で、知り得る限り、問題の全体像を公表すべきだ>ということになるのかが、わたしにはまったく分かりません。社説はそのあとに、ちゃんと<東京地検は12月中にも、元秘書を政治資金規正法違反で在宅起訴する方向とされる>と書いているのですよ。
つまり、元秘書が起訴されて、裁判で有罪ということになれば、検察は当然、この元秘書の行為に鳩山首相がどう関わっていたかを追及することになるでしょう。つまり、鳩山首相はいま、(検察が政治的判断を優先させればすぐにはそうならないかもしれませんが)自分も起訴されて法廷に引きずり出されることもありえる状況にあるわけです。
そんな状況にある人物には<自分を有罪にする恐れがあることについては自ら証言しなくてもいい>権利があります。
それがたとえ一国の首相でも、同じ権利が認められなければなりません。
そのことを社説は完全に無視しています。
社説はこのあと、首相には、母親からの不正な政治資金提供なども明らかになってきてる、などと<問題の重大さ>を指摘し、首相が「私が知らないところで何が行われているのか」などと言っていることを<人ごとのような発言>と非難しています。
ですが−−。自分が法廷で裁かれるかもしれくなった人物に何を語れとこの社説は言いたいのでしょう?<悪うございました。こことあそこで法を犯しました。どうぞ有罪にしてください>とでも?検察が手の内をまだ見せていないのに?
だれにでも“公平な裁判”を受ける権利があります。自らの不利になる証言を強制されてはならないということもその権利に含まれます(数々の冤罪事件を思い出してください)。なのに、その権利を自ら放棄するよう新聞社が執拗に求めつづける?
新聞社が検察の肩代わりを買って出て“自白”を強要する?
読売新聞だけではありません。ほかの新聞もほぼ同様の態度をとりつづけています。
鳩山首相は、たとえ元秘書が有罪となっても、自らを罪人にするかもしれないような証言をマスコミに強要されてはなりません。首相であれ誰であれ、その犯罪の有無を証明するのは検察です。有罪であるかどうかを決めるのは裁判所です。
日本のマスコミは、どういうわけか、その両者の役割を果たしたがります。自らの役割を過大に見積もっています。誤解しています。
いえ、検察は元秘書を起訴しないだろうという見通しの中でだったら“説明責任”を果たすように求めるのもいいでしょう。しかし、検察による起訴が視野に入ってからあとの状況は同じではありません。その後の追及は検察に任せるのが当然です。
<「検察に任せる」は通用しない>という主張いったい出てくるのか?
鳩山首相がマスコミと国民向けに“説明”しようがしまいが、自身に法的な落ち度があれば、首相は当然それにふさわしい罪を着せられることになります。そういう形で首相は法的な制裁を受けます。
いえ、法的な制裁だけにとどまらずに、有権者の手で、政治家としての生命も断たれるかもしれません。
マスコミはそれだけでは不満なのでしょうか?
待てよ−−。
この読売の社説は、その最後のとろで、唐突に、こう書いています。
<首相は02年3月の民主党代表時代、加藤紘一・自民党元幹事長の元事務所代表の脱税事件について、こう語っている><「金庫番だった人の不祥事は、(政治家も)共同正犯だ。即、議員辞職すべきだ」>
なんだ、そうだったのか、実はこれが言いたかったのか−−と思いませんか?
これなら分かりますよね。
元秘書が“不祥事”を起こしたのだから、元秘書と首相自身がこのあと有罪になろうとなるまいと、首相はとにかく辞職=辞任してけじめをつけるべきだ、というのなら。−−鳩山首相が以前に自ら主張していたように!
いえ、それでも首相は、起訴後は裁判の行方を見てから自分がどうするかを決めると逃げるかもしれませんが、新聞が倫理を重視して“辞職”を求めるというのは、それはそれとして筋が通ります。
ところが、理解しがたいことに、上の事実を挙げながら、社説は鳩山首相に“辞職”を求めてはいません。
代わりに<首相は、この言葉を思い起こし、政治とカネの問題について、自らきちんと説明する責任がある>と、再び“説明責任”を果たすように求めています。
どんな頭があれば、こういう具合に物が考えられるのでしょう?
自民党元幹事長ついて言ったこと=辞職=を自分でもやるべきだ、というのが正しい“筋”というものでしょう?そうではなくて<自らきちんと説明>せよ?
社説の論理には明らかにズレがあります。社説はそのズレに気づいていません。
日本のマスコミはこのごろ、おかしなことしか書きません。政権交代で頭の中をかき回されています。かき回されているのに、そのことに気づこうとしません。
読売新聞を含めて、マスコミには、いまやるべきことは首相に①“辞職”を求めることなのか②“説明”を求めることなのかぐらいはよくよく考えてから意見を述べてもらいたいものです。
法的にはありもしない=倫理的には何の意味もない=“説明責任”にいつまでも言及しつづけることの愚かさに早くきづいてもらいたいものです。
そんな“責任”がいかにもまだあるかのように国民に思わせて、国民の頭をマスコミ同様に混乱させないでもらいたいものです。