第138回 “天下り”も定義づけてから議論すべきでは?

  「東京新聞」(Tokyo Web)を見てみましょう。
  2009年11月19日にはこう書いています。 

  <政府は18日の持ち回り閣議で、人事院総裁に江利川毅・前厚生労働事務次官を任命した。江利川氏の起用をめぐっては「天下りではないか」との批判が絶えない。天下りに反対する民主党を支持してきた国民には釈然としない印象を残した>

  11月7日にはこんな記事を掲載していました。

  <政府は六日の閣議で、日本郵政社長に就任した元大蔵事務次官斎藤次郎氏らの人事は「天下りには該当しない」などとする答弁書を決定した。
  <答弁書天下りについて「府省庁が退職後の職員を企業、団体などに再就職させること」と定義。「法令に違反することなく府省庁のあっせんを受けずに再就職することは天下りに該当しない」とした> 

  東京新聞が「国民には釈然としない印象を残した」と書く理由が分かりません。
  政府が「答弁書」で示した「定義」は実に明快です。
  ですから、斉藤日本郵政社長や江利川人事院総裁の人事を「天下りではないか」とさらに「批判」するためには「東京新聞」(だけでなく、ほとんど同様の“批判”を繰り返すマスコミ全体)はまず、“天下り”についての、自らの「定義」を(社説か署名記事、またはそれに類するもので一度は)示すべきです。
  “天下り”とはこういうものだから、斉藤氏や江利川氏の人事はまさにそうなのだ−という具合に主張しなければなりません。
  その定義づけをしないでおいて、政府の人事には納得できないと言い募るのはマスコミによる“説明責任の放棄”です。
  「東京新聞」(とマスコミ全体)がまずやるべきことは、国民の頭を混乱させている原因の一つである自らの怠慢を恥じることです。

  「苦言熟考」は前回、<官僚(主導)政治>とは<官僚の(価値観に基づいた)、官僚による、官僚のための政治>だと定義しました。
  これに倣うと、“天下り”は<官僚の(価値観に基づいた)、官僚による、(退職する)官僚のための人事>だということになります。

  そこには政治(政府と国会)の意思がまったく反映されていません。
  “天下り”がいけないのは、政府(政治家)と異なり、選挙という形で国民の批判にさらされることがない官僚が、自分たちの“密室”で、自分たちの利だけを考えて行う人事だからです。税金の無駄づかいなどには目もくれず−−。

  “脱・官僚依存”や“天下り”に関して、マスコミはいつまで政府=民主党の揚げ足取りをするつもりなのでしょう?いや、ぶざまに揚げ足を取り損ないつづける気なのでしょう?

  日本の官僚組織はすこぶる優秀な人材で構成されているはずです。わたしはそのことを疑いません。
  問題なのは、その“優秀な人材”の宝庫だからこそ、彼らは長期間、自民党とその政府を実質的に支配してこられたということです。支配するための組織=制度=システムを考え出し、維持しつづけてこられたということです。
  官僚(主導)政治というのは官僚の組織=制度=システムが行うものです。言うまでもなく、個々の官僚が個人プレイとして実行できるものではありません。
  民主党が言う「脱・官僚依存」というのは、その(悪に染まった!)官僚組織に丸がかりで頼り切るのはやめよう、ということにほかなりません。

  つまり−−。“個々”の(優秀な!)元官僚を(たとえそれが元事務次官であれ)、“国民に監視されている”政府(や国会)が“国民のために”活用することに問題は少しもないのです。
  というより、官僚組織というものは、もともと、国民を利するように活用されるべきものなのです。
  もちろん、優秀ではない、あるいは官僚意識からいつまでも自由になれない元官僚もいるでしょうから、間違いのない人事を行う責任が政府にはあるわけですが−−

  官僚に政治が好き勝手に支配されることに慣れすぎているのでしょうね、官僚を政治が活用するということがどういうことかが、夏の政権交代のあともまだ、マスコミには理解できていないようです。「天下りに反対する民主党を支持してきた国民には釈然としない印象を残した」などと、焦点がぼやけた、無責任なことを書きつづけるところを見ると−−。

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  ところで−−
  日本のマスコミがいまどれほど劣化しているかをこの上なくよく示す例にここで触れておきます。

  インド洋での自衛艦による対米艦給油活動を民主党政権は選挙公約どおりにやめることに成功しました。これは、日本外交上の“歴史的大勝利”です。これ以前の自民党政権アメリカ政府の重要政策に「NO」と言って、それを認めさせたことが何かあったでしょうか?

  マスコミはこの(先で政治外交史の教科書に載せられるかも知れない類の)“大勝利”を無視しつづけています。民主党が挙げた成果だからというのならまだ救われます。ですが、本当のところ、マスコミは、これが日本の外交史においていかに画期的な出来事なのかがまったく分かっていないのです。
  たとえば、沖縄の米軍基地をアメリカの意思に反して動かそうという民主党の動きは日米関係に亀裂を生じさせるだけだ、などとアメリカ政府の顔色をうかがい、まるでアメリカ政府の代弁者ででもあるかのように日本国民を脅すことしかできないマスコミには、まあ、分かるわけはないのかもしれませんが、実に情けないことです。
  日本のマスコミの知性や理性はいま、致命的に=とても信頼できないところまで=悪化しています。