第133回 総裁選:自民党はやはりもう駄目みたい

  自由民主党が総裁選挙をやっています。討論会や街頭演説などでの三人の候補者、西村康稔前外務政務官(46)、河野太郎元副法相(46)、谷垣禎一財務相(64)の発言を聞いていると、やはり「この政党はもう再生できないのではないか」という思いがしてしまいます。

  2009年9月21日のasahi.comによると、三候補者は−

  河野氏森喜朗元首相に象徴される「古い自民党」の切り捨てを主張する

  谷垣氏:国会議員票で優位に立つ

  西村氏:「「私は世襲でなく、落選経験もある」と、世襲議員河野氏との違いを強調した

−と特徴づけられています。

  同記事によると、河野氏は<派閥重鎮の退場を求め、「残すべき自民党と、切り捨てる自民党を明確に仕分けることが、この総裁選の大きな役割だ。古い自民党のままでは、誰が次の選挙で支持するでしょうか」と訴え>ています。

  それに対して谷垣氏は<「総選挙敗北の原因は総理大臣を選んだはずの国会議員が排除や区別の議論をして党内で争っていた(こと)。排除の論理を乗り越えて、みんなで一丸となる自民党に変えていく」と反論>しています。

  21日現在でもっとも総裁に近いと見られているのは谷垣氏のようです。ですが、困ったことに、上の引用から、自民党の<総選挙敗北の原因>をこの人がまったく間違って捉えていることが明らかです。あの総選挙までの50余年間の日本を自民党が<みんなで一丸>となって悪くしてきたのではないか、と国民は考えたのです。つまり、大半の国民の意思や希望を自民党が<みんなで一丸>となって無視してきたことが根本的な<敗因>だったのです。弱者切捨て・格差拡大・大日本帝国への回帰思想…。

  落選議員を含めて再び<みんなで一丸>となって、いまさら何をしようというのでしょう?
  この人物が次期自民党総裁の最有力候補だというのですから−。

  それに、安倍・福田・麻生、それに森の前・元首相たちが、大敗の責任を取ろうともしないで、みな“元気”で<党の再生のために働く>などと息巻いている図は醜悪そのものです。本物の反省ができないところが自民党の一大特徴だとはいえ、これではあまりにもひどすぎます。

  西村氏も三者討論会などでおかしなことを言っています。<若手中堅党員の票を河野氏と二分して谷垣氏を有利にするために立候補したという人たちがいるが、わたしは自民党をよくしたいと芯から思っているだけだ>というような−。

  どんな計算をこの人はしているのでしょう?若手中堅議員が割れてしまえば、国会議員党員票199のうち、すでに(多くの派閥に所属している議員たちの)7割ほどを押さえているらしい(森元首相をはじめとする旧人有力者に推されている)谷垣氏が圧倒的な優位に立つことは当然でしょう?本当に自民党を変える気があったのなら、河野氏と話し合いを深めて、自分は立候補を見送るべきだったのではありませんか?簡単な計算です。

  <残すべき自民党と、切り捨てる自民党を明確に仕分けることが、この総裁選の大きな役割だ>という河野氏の主張が<敗因>を最も正しく分析した結果の意見であるように思えます。もし、いまの自民党にまだ<残すべき>ところがあるとすればですが−。

  総裁選の公示までに自民党はかなりの日数を置きました。その間に<何を残すか><何を切り捨てるべきか>を真剣に議論すべきだったのですが、この党は<国会の首班指名選挙では麻生と書くか白票にするか>などと大騒ぎしただけで時を無駄に過ごしてしまいました。決定的な誤り。愚かなことでした。

  地方票も固めて谷垣氏が新総裁に選ばれることになるようだと、自民党はもうオシマイです。再生の道はありません。そして、ほかでもない党員自身がみなでそういう将来=自滅の道=を選んだということになります。

  せめて地方の党員たちにまだ十分な“知性”と“誇り”が残っていれば、谷垣氏が選ばれることはないのですが、まっとうな危機感がない党の最上層部、旧人有力者たちにほとんど利権だけでつながっていた地方党員たちですから、彼らに多くを望むのはやはり無理なことなのかもしれません。