第114回 「お父さん、電話をかけてやって!!」

  3月23日、月曜日の午後一時過ぎごろになんとなくテレヴィをつけると、画面では20歳前後と見える女性が涙を流していました。
  ABS・CBNのワイド・ヴァラエティ(クイズ・ゲイム)ショウ<ワウ ワウ ウィー>のあるセグメントでのことです。 
  このセグメントでは、参加者たちに、音楽の出だしを聴かせ、早押しで曲名を当てさせるという形で“勝ち抜き”行わせます。勝ち抜きの勝者は、最高5万ペソ=およそ10万円がもらえるゲイムに挑む権利を獲得することになっています。
  このセグメントには実は、そのゲイムのほかにもう一つ“見せ場”があります。それは(良い趣味かどうかはともかく)参加者たちに自分の家庭や家族のことを話させ、感極まって涙を流させる−というものです。
  月曜日にわたしが見た女性は、顔立ちはよく整っているものの、一般のフィリピン人とはちょっと異なって、どちらかといえば東アジア人ふうの目をしていました。

          *

  ところで…。
  2006年5月にフィリピンに移住してから、わたしは、日本語をわりにうまく話すフィリピーナに三人、出会っています。

  最初の一人はメトロ・マニラで暮らすS。ハイスクールを出て間もない17歳のときに、日本のバーやクラブなどで働くようになり、その後、エンターテイナーとしてのヴィザの期限が切れたあとは不法滞在者となって日本で働きつづけました。
  そのうちに、「君のようにきれいな女にはいままで出会ったことがない」と言ってくれた日本人男性客とつき合うようになりました。男性は「できるだけ早く妻と別れて君と結婚する」と何度も約束してくれたそうです。
  ですが…。いくら待っても男性は「妻と別れた」とは言いませんでした。「なぜだ」と問い詰めると「いま離婚したことが会社に知れると、社内での僕の立場がおかしくなる。仕事がやりにくくなる。もう少し待ってくれ」という返事でした。Sはその言葉を信じてさらに待ちました。
  待っているうちに、Sは妊娠しました。それを知ると男性は「妻以外の女性とのあいだに子ができたことが会社に知れると、僕の昇進はなくなる。ぜひ中絶してくれ」とSに頼み込んできました。Sは、不承不承でしたが、中絶手術を受けました。
  不法に働きつづけていて入管に捕らえられてしまってはその結婚ができなくなる、と恐れ始めたSは仕事をやめ、自分のアパートに引きこもる暮らしを始めました。しかし、男性はいつまで経っても「離婚した。結婚しよう」とは言い出してくれませんでした。
  「わたしはずっとだまされていたのだ、このままでは、これまでに日本で稼いで貯めておいた預金を食い潰していまいかねない、ここはフィリピンに引き揚げるときだ」と悟ったときには、Sの日本での暮らしはすでに9年間になっていました。
  Sは入管に出頭して強制送還してもらいました。
  ハイスクール出ではフィリピンではまともな仕事につけないから、また日本に戻りたいと思いつづけていたものの、30代も半ばに近くなり、日本(のクラブなど)で働くには少し年齢を重ねすぎたと感じ始めたSは、結局、あまり気乗りしないまま、あるフィリピン人と結婚し、いまは一児の母親になっています。

  二人目のフィリピーナはセブの観光ガイドでした。日本には、6か月間、一度行っただけだということでした。
  「日本でボーイフレンドができた(と思っていた)けれど、結局はだまされていた(もてあそばれただけだった)」と(他の二人と比べると、まだそれほど流暢ではない日本語で)彼女は淡々とわたしに話しました。
  運が悪かったことに、この女性は、日本(のバーなど)で働けるようにしてくれた斡旋業者(プロダクション)にもだまされて、約束されていた給料もまったくもらえなかったそうです。
  この女性は、家族のためにと考えて日本に行ったものの、日本では良いことは何一つ経験しなかったわけですね。
  彼女は「日本にはもう二度と行かない」と言っていました。帰国後にできたフィリピン人の恋人と「いまは幸せ」だということが、話を聞いたわたしにはいくらかの救いでした。
  この女性の場合は、日本人ボーイフレンドとのあいだに子供ができなかったことが、フィリピンに戻ってからの生き方をいくらか楽にしていたようでした。

  三人目はルソン島のパンパンガ州に住むCです。母親たちが住む(田んぼに取り囲まれた)家で、日本人男性に捨てられた娘と一緒に(日々、何といってすることもなく)暮らしています。
  Cも17歳のときに日本で働き始めました。これまでに三回、日本を訪れています。
  「どうしても、また日本に行きたい。日本で働きたい」というCがいま、フィリピンの田舎にいるのは、最後に不法滞在していた際に入管に検挙され、強制送還の処分を受けたために、合法的には、その後5年間は日本に戻ることができないからです。
  そんなCにはいま、娘の父親ではない、別の、25歳年長の日本人ボーイフレンドがいるそうです。Cの口ぶりから判断すると、Cはこの男性をことさら深く愛しているわけではなさそうなのですが…。
  Cの姉の夫が見るところでは、Cがこのボーイフレンドとつき合っているのは<Cを日本に呼び寄せて自分が面倒を見るからCの日本への入国を認めてほしい>という申請書を(マニラの日本大使館に?)出すことをこの男性が了承しているから、ということのようです。
  
  いえ、たしかに、Cにも打算があることは明らかなようですよ。しかし、一方で、この新しいボーイフレンドが「申請書を出してやるから」とCをだましているという可能性もまだ否定できません。
  いずれにしても、聞いて心が和む話ではありませんね。
  いやいや、一番不幸なのは…。
  最初の日本人ボーイフレンドにだまされて生むことになった娘をCが心底から愛しているようには見えないことかもしれません。その娘の将来のためにも日本でまた働くのだ、とCは思い込んでいるはずなのに…。
  
  --ちなみに、Cが娘につけた日本名は、偶然にも、わたしが1990年代の初めに、フィリピン人のカラオケ・シンガーのことなどを書いた小説「夢をただよい」(http://d.hatena.ne.jp/Trina/)の中で主人公が(やはり、日本人男性とのあいだに生まれた)娘につけたものと同じでした--

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  さて、月曜日の<ワウ ワウ ウィー>では…。

  ショウの進行役の一人で細身の女性コメディアン、ポウキーが日本語をいくらか話すことは以前から知っていましたが、そのコメディアンがいま、若い、東アジア人ふうの目をした女性を泣かせています。耳を傾けてみると…。
  若い女性はタガログ語で、父親のことを話しているようでした。
  ポウキーがカメラに向かって日本語で言いました。「森永さん!娘さんに電話をかけて(やって)ください。わたしの娘の父親も日本人です。だから、この(出演者の)女性のこと(あなたとどれほど会いたがっているか)が分かります。電話番号は…」
  ポウキーは、日本人の父親に捨てられたこの(20歳前後に見える)女性に代わって(ショウの見物者たちと大半のフィリピン人視聴者には分からないように)日本語で番号を伝えました。父親がどこかでこのショウを観ているという可能性はけっして大きくはなかったのでしょうが…。

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  ちゃんとした統計はないということですが、フィリピン国内には、Cの娘やこの女性出演者とおなじように日本人の父親に無責任に遺棄された子供が数万人はいると言われています。
  そんな子供たちがごく身近にもいるのだということが、すこぶる人気が高いこのショウ番組<ワウ ワウ ウィー>でフィリピン中の人びとにさらに知られることになりました。

  日本人男性たちだけではなく、日本人全体にとって、これは恥じるべき事実です。
  そう思いませんか?

  フィリピンに移住して間もないころ、「酒も飲まない、タバコも吸わない、それに、(カラオケ・パブなどに出かけて)女遊びをすることもない」と話したわたしに、ある若いフィリピン人男性が、真顔でこう言ったことがあります。「それで、あなたは、ほんとうに日本人なんですか?」

  日本人男性に対してフィリピン人は、根拠もなく、非常に悪い印象を抱いている−とあなたは言い切ることができますか?