第109回 警官がいきなりアパートにやって来た日のこと

  1990年代の半ばごろでした。
  わたしは、ロサンジェルスの東隣の市、モンタレイパークでアパート暮らしをしていました。
  ある日の夕方近く…。
  わたしのアパートがある二階への階段を、普段は聞かない大きな足音を立てて誰かが上がってきました。
  寒い季節を除けば出入り口のドアを開け(網戸だけにし)て暮らしていましたから、その異常な足音の主が誰であるかはすぐに分かりました。制服姿の警官でした。

  警官はまず「911(日本の110+119番)に電話しましたか?」と尋ねました。
  していなかったわたしは<他人の家に駆けつけるようでは、モンタレイパークの警察も頼りないな>などと感じながら「いいえ」と答えました。
  しかし…。よく見ると、警官の表情はなぜかひどく緊張していました。

  次の質問は「いま、ここには、あなた一人だけですか?」でした。
  わたしが「ええ、長い一人暮らしで…」と、少し的外れな答えをしているうちに警官は急いだ口調で「子供がいるのでは?」ときいてきました。
  なぜそんな問いを浴びせられるかが分からないまま「子供もいません」と答えたのですが、警官は信用していないようでした。

  <こんな質問(尋問?!)は、実際に991に電話したところを見つけて、やはり、そちらでやるべきじゃないか>と思っているわたしに向かって警官は「中を見せてもらっていいですか」と言いだしました。
  断る理由はありませんでした。
  ワンベッドルームの小さなアパートでしたから、寝室とバスルーム、出入り口からは見えないキッチンを警官が見終えるまでには一分間ぐらいしかかからなかったはずです。
  
  ですが、その短い一分が経つあいだに、わたしは重要なことを思い出しました。自分が少し前に室内の掃除をしていたこと、さらには、電話機にいくらかかぶっていたホコリを濡れナプキンで拭きとっていたことを!!
  アパート内を見終えた警官に言いました。「思い出しました!さっき電話機をクリーンしたんです。そのとき、もしかしたら、偶然に911を…」
  あきれきった(軽蔑がまじった)ような表情で警官がわたしを見ていました。 
  「気をつけてくださいよ!」
  それが、警官の立ち去り際の言葉でした。

  わたしは、電話機のホコリをふきとっている間に、偶然にも、9−1−1とボタンを押していたのですね。
  ですから、モンタレイパークの警察は実に優秀だったのです。かけてきた者が何も言わずに切ったものだから、警察は発信元がどこかを正確に逆探知して、これは事件ではないかと、あの警官をわたしのアパートに急行させていたのです。

  <そうか!子供か!>とわたしは思いました。<警官は、わたしの様子から、どうやら大きな事件ではなさそうだと分かった時点でも、まだチャイルド・アビューズ(幼児・児童虐待)の疑いあり−としてアパートの中を見たがったのだな>
  親に暴力を受けている子供が、親の目を盗んでなんとか911に電話をかけて助けを求める…。
  ありそうな話でした。
  わたしは、ほんの短時間のことでしたが、そんな疑いをかけられていたのです。
  
  …というような昔の出来事を思い出したのは、最近、DEAN KOONTZ(ディーン・クーンツ)の小説「VELOCITY」(BANTAM BOOKS)を読んでいて、似たような状況に出合ったからです。

  この小説では、主人公を犯人にでっち上げようとしている真犯人(連続殺人犯)が主人公の自宅に被害者の一人の死体を持ち込んだ上で、その家の電話機を使って911を呼び出します。何も言わずに真犯人が電話を切ったものだから、間もなく保安官助手が駆けつけてきます。
  賢い真犯人が証拠のすべてを主人公に不利に整えていますから、連続殺人犯にされたくない主人公は嘘を並べて、保安官助手を遠ざけなくてはなりません。まずは<番号案内411と間違えて911にかけてしまったのだ>というところから始めて。

  主人公のその回答がそのままには信じられないこの保安官助手は(実に周到に事を進める人物で)主人公の人権を損なわないよう−違法捜査にならないよう−に気を配りながら、執拗に質問を重ねていきます。
  助手はまず、幼児・児童虐待を疑ってみます。モンタレイパークでの体験をわたしが思い出したのは、ここを読んだときです。

  しかし、この保安官助手の疑いはそんなところでは終わりません。
  主人公が次に疑われたのは拉致・誘拐・監禁。
  …たしかに、誰かの目を盗んで911を呼び出す可能性があるのは子供だけではありません。誰かの自宅に閉じ込められている被害者が、その家の電話で9−1−1とボタンを押したものの、被害を通報するだけの時間はなくて切ってしまった、ということもありえます。

  …という辺りまで読んできたとき、わたしはちょっと怖くなってしまいました。
  <そうか、あのときの警官も、初めはそんな可能性も頭に入れて、あの階段を上がってきていたのだな><ぼくは、一時的にだとはいえ、誘拐・監禁犯かもしれない、とも疑われていたんだ!>

  この小説を読んで、モンタレイパークのあの警官があのとき、なぜあれほど緊張していたのかが初めて分かりました。
  たしかに、凶悪犯罪が多発するアメリカでは、警官や保安官助手たちは、そんな緊張感の中で日々、働いているに違いありません。
  <電話機を掃除したときに、誤って911を押してしまったらしい>というわたしの説明にあの警官が<あきれきった(軽蔑がまじった)ような表情>で応えたのには“正当な理由”があったのですね。
  
  あの出来事から十数年後。ペイパーバックを読んでいて、そんなことを思い出したり、感じさせられたりしました。

  ちなみに、警官や保安官助手などが<家の中を見せてもらっていいか>と尋ねるのは、北カリフォルニアを舞台としたこの小説によれば、そう尋ね同意を得ておかずに勝手に踏み込んだ場合は、犯罪の証拠をその家の中で見つけても、後の裁判では(捜査手続きに問題があるとして)採用されないからだ、ということです。

  ロサンジェルスやオレンジといった郡の中で、市や町として成り立っている地域をそれぞれ管轄するのが自治体警察で、そうではない地域と、警察組織を持っていない市や町を受け持つのが保安官事務所(保安局)です。
  保安官助手は、一般の制服警察官に当たります。