別宮貞徳(べっく さだのり)という名前の人物を知っていますか?
もし<その名前はどこかで聞いたこと(見たこと)がある>という人はいくらか英語に興味がある人で、<その人の本を読んだことがある>という人は、かなりの“英語好き”だと思いますが、さて、どうでしょう?
…ということで、今回も第一回目のエッセイと同じく、話題は<英語>です。
4月19日(2005年)の「読売新聞」インターネット版に<中国こそ恣意的に歴史を解釈…反日デモで米紙論評>という見出しがありました。
<恣意的>か…?待てよ!
中国という国は、経済的には“自由市場”の活力を利用しながら資本主義の方向へ雪崩を打ったように突き進んでいるけれども、<歴史解釈>などに関してははまだ共産党が(いわば)“解釈する権利”を独占していて、その解釈は国益優先を第一にする“確固たる”もので、その点では、“気まま”なところなどはまったくないはずだ。そのことを十分に知っているはずの<米紙>が<中国こそ“気まま”に歴史を解釈>と<論評>するだろうか?
そこで、念のために、手元にある「新潮国語辞典」で<恣意>の意味を調べてみました。わたしが意味を取り違えて記憶しているという恐れもあるわけですから…。
ですが、この辞書には、<恣意>についてはやはり<気ままにふるまうこと。かって>とありした。<ヤフー・ジャパン>の辞書機能を利用してみると、<恣意的>については<大辞林>が<(形動)その時々の思いつきで物事を判断するさま>としていることが分かりました。
中国が<その時々の思いつき>で<かって>に、それほど軽々しく歴史を解釈していると本当に<米紙>は考えているのだろうか?
記事の書き出しは次の通りです。
【ワシントン=貞広貴志】中国での反日デモなどで日中両国間の緊張が高まっている問題で、米紙ワシントン・ポストは18日、「中国の身勝手な記憶」と題して、中国が日本に「歴史を直視する」ように求める一方で、自らは権力維持のため恣意(しい)的に歴史を解釈していると指摘する論評を掲載した。
見出しの<恣意的>は本文では<身勝手>となっていました。
<米紙>というのは「ワシントン・ポスト」のことでした。
その昔、<ウォーターゲイト事件>を追及したことで知られる、あの“高級紙”です。その格調高い新聞が「中国の身勝手な記憶」と題した論評を掲載したというのです。…<身勝手>という、すっかり一方に偏したような印象を与える論評を(右よりの立場が明確な「ウォールストリート・ジャーナル」ならともかく)あの「ワシントン・ポスト」が本当に掲載したのだろうか?…どうも納得がいきません。
そこで、「ワシントン・ポスト」の記事そのものを読んでみることにしました。
見出しは実は<China’s Selective Memory>となっていました。
この記事の記者である貞広貴志さんはこの<SELECTIVE>をまずは<身勝手な>と訳し、次には、<権力維持のため恣意(しい)的に歴史を解釈していると指摘する論評を掲載した>と書いて、この<SELECTIVE>を<恣意的>とも解釈しています。
これは正しい翻訳でしょうか?
<SELLECTVE>という形容詞の意味調べてみました。
小学館の「ランダムハウス英和大辞典」では①選択能力を持つ、選択する、抜粋する②(特に入念にきびしく)選択された、特選の、えり抜きの③選択の(に関する)④〔電気〕〔無線〕選択度の高い、選択性のある、分離度の高い―の意味が記されています。
研究社の「リーダーズ英和辞典」では、選択的な;精選の、抜粋の;選択の、〔生〕淘汰の;〔通信〕選択式の―が挙げられています。
<身勝手>も<恣意的>も見当たりません。
貞広記者によれば、この論評の筆者は<かつて同紙の北東アジア総局長(東京)を務めたフレッド・ハイアット論説面担当部長>です。
「ランダムハウス英和大辞典」に<②(特に入念にきびしく)選択された>という意味が記されていましたね。ハイアット氏(あるいは見出し担当者)が意味したのは、おそらく、これだったろうと思われます。
「中国の選択された記憶」
これだと、なるほど、計算づくで、冷静に自国の歴史をコントロールしようとしている中国政府の態度がちゃんと感じられますよね。
ハイアット氏はその論評の中で、たしかに<ある一定の期間に限っていうと、(中国には)受け入れ可能な形の歴史は一つしかない。が、歴史はしばしば変わる。そして、変わるのは、共産党が変えようと決めたときだけだ>と指摘しています。ですが、同氏自身は、実は<SELECTIVE>という単語さえ使っていません。<身勝手>(ふつうにはSELFISH?)も同様です。
見出しの<SELECTIVE>を<身勝手><恣意的>と受け取った貞広記者自身に<身勝手>な解釈はなかったでしょうか。
同記者は、例えば<Apologies sometimes seem to be mumbled, and textbooks sometimes minimize past crimes. (日本の)謝罪の言葉はときどきはっきりしないようだし、教科書はときどき過去の(戦争)犯罪をできるだけ小さく表現する>とハイアット氏が指摘していることには触れていません。(もしかしたら、同記者は書いていたのに、編集者が削除したのでしょうか?)触れないから、ハイアット氏の論調が読者に正確に伝わっていません。同記者の記事からはハイアット氏が<中国だけが悪い>と述べているように読めますが、原文を読めば、必ずしもそうではないのです。
<選択された>と<身勝手>は完璧にかけ離れた単語同士ではないかもしれません。ですが、<SELECTIVE>をそこまで拡張して解釈していいものでしょうか?それは客観的な翻訳でしょうか?
翻訳というのは実に難しい仕事です。難しくて大きな責任が伴う仕事です。
そうそう、別宮貞徳さんの、翻訳に関する本のタイトルをいくつか紹介しておきましょう。
「誤訳 迷訳 欠陥翻訳」「こんな翻訳読みたくない」「こんな翻訳に誰がした」「悪いのは翻訳だ」「翻訳の落とし穴」「翻訳はウソをつく」