第361回 「日本の衰退」 1990年から四半世紀

  雑誌「タイム」が<日本は「出生率の低下に伴い、技術系を中心に深刻な労働者不足に直面しつつあると指摘」、さらに「日本が将来、多額の国内資金を老人対策費に充てなければならない高齢化社会となることを予想して>いたのは四半世紀前の1990年のことです。
  【加州毎日新聞 時事往来 =189= 「日本の衰退」 1990年4月9日】(http://d.hatena.ne.jp/ourai09/20090824/1251068056
  ほとんど同じ頃に、「朝日新聞」も<色あせる経済大国>という記事を掲載して「日本の衰退」が始まっていると警告していました。「日本の経済は低金利円高、それが生んだ株高や地価高騰で膨らんできた」。だが、地価の高騰は革新的な技術を持ったベンチャー企業からオフィスや工場を所有する機会を奪い、膨大な含み資産を持つ昔からの企業だけが恩恵を受ける仕組みをつくった。これでは「社会の活力は失われ、産業構造は硬直化してゆく」。日本経済は「構造改革への自律的な対応力を失い、日本そのものの輝きを失いつつあるのではないか」とも。
  一方、<一九八三年から八六年まで、『エコノミスト』の東京支局長だったエモット氏は、『週刊朝日』での下村満子編集員との対談で、「日本の経済も永久に上り続けるものではない」という視点から「九〇年代の半ばには、(日本は)貿易赤字を計上するのでは」と予言しながらも、日本の将来については、全体としては、楽観論を展開、「貿易収支が赤字になっても、日本企業自体はもっと競争力をつけて、国際的なシェアも伸びているだろう」と語って>いました。<例えば、日本企業が進出先のケンタッキーで製造した製品が世界に輸出されたとすれば、貿易収入を増やすのは米国であり、力をつけるのは日本企業だから><国としての日本は赤字国に転落しても「日本企業はますます国際化して、脅威の対象から教師の立場に変わっていく」>というわけです。<『朝日』が心配している資本の国外流出がここではむしろ歓迎されて>いました。
  「日本の衰退」に関する以上のような説を紹介したあとで、1990年4月9日の「加州毎日新聞」の「時事往来」はこう述べていました。
  <エモット氏のどちらかといえば“楽観的”な予測が当たった場合でも、企業は肥えるが国はやせ細っていく―。国家・国境意識にしばられた政治家や官僚、そして国民には、落ち着きの悪い時代がやって来るかもしれない>
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  さて、その後の日本はどうなったでしょう?
  四半世紀後のいま、全体としては“国際化”に成功した日本の(大)企業は、“円安”がもたらした恩恵もあって、好景気を満喫しているにもかかわらず、“アベノミクス”政策の成果を国民と国際社会に向かって実態以上に喧伝したい安倍晋三首相からの執拗な要請にも応じることなく、日本国内での設備投資には消極的でありつづけています。
  <多額の国内資金を老人対策費に充てなければならない高齢化社会となること>についても有効な対策がこうじられてはいません。
  <企業は肥えるが国はやせ細っていく>状態が現実になってしまっているようです。
  政治はこの間にいったい何をやっていたのでしょうか?
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