2008年初稿 苦言熟考:第93回 あれは正しい情報だったようです

ちょうど40年前の1968年の秋ごろに、友人のH君からこんな話を聞きました。
  これは、そのH君が彼の友人A君から聞いた話です。
  A君には、中国(長期旅行)から戻ってきたばかりのB君という友人がいました。
  そのB君がA君にした“みやげ話”の中にこういうのがあったそうです。
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  B君がしばらく滞在した地方の(ある人民公社の中の)村で、ある朝、村の中心の通りに突然“市”が立ちました。
  普段は“市”なんかない通りに、露天の小さな店がいくつもできあがり、日ごろはあまり見かけることがない野菜や果物をたくさん並べていたのです。
  B君の目には、村はめずらしく活気を帯びて見えていました。
  そのうち、B君の耳に、外国の友好使節団がその日のうちにこの村に立ち寄るというニュースが入ってきました。
  やがて、その友好使節団がやって来ました。
  B君が驚いたのは、使節団が村を去るやいなや、小店を出していた(村の周辺から集まっていたと思われる)農民たちが、野菜や果物などをまとめて、さっと立ち去ったことでした。
  通りはたちまちのうちに、何事もなかったかのように、いつもどおりのいなか道に戻っていました。
  遅まきながら、B君は気づきました。
  あれは、外国からの友好使節団に見せるための“にせ市”だったのだということに。
  人民公社による農村経営がうまくいっているということを言わんがために、この地方の共産党幹部と人民公社が急遽、農民たちに“にせ市”を立てさせたのだということに。
  「これが文化大革命真っ只中の中国で現実に起こっていることだ」とB君はA君に述懐したそうです。
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  これはあくまでA君がB君から聞いた話をH君がわたしに聞かせてくれたものです。又聞きの又聞きです。
  ですから、あれから40年間、わたしがこの話を第三者にしたことは(たぶんわたしの兄弟を例外として)一度もありません。エッセイなどに書いたこともありません。
  <共産党独裁の国だから、アリソウナコトダ>とは感じていましたが、<又聞きの又聞き>では、話に信頼性が欠けすぎていますから。
  北京オリンピックがきのう終了しました。
  実に華やかだった開会式のあと、その開会式をめぐるいくつものゴマカシが明らかになりました。
  ①実はコンピューター・グラフィックで処理していた“花火のビッグ・フィート”②胸元にマイクをつけさせて強行した「歌唱祖国」の“口パク”③漢民族の子供たちによる“少数民族なりすまし”…
  主催者側は<式をより良いものにするために必要な演出だった>として、世界の人びとをだましたことへの反省の意はまったく示していません(“口パク演出”の実際の歌い手だった少女がどれほど精神的な傷を負ったかについても、知らんふりを決め込んでいます)。
  B君が日本に持ち帰った、あの40年前の“にせ市”情報。
  <又聞きの又聞き>だったのですが、あれは真実を伝えていたのだと、いま強く感じています。
  経済的に世界のスーパー・パワーとなった中国ですが、中国共産党は、その精神の核心のところで、昔からほとんど変わっていないのですね。