再記載: 第279回 小学生英語 正式教科 これでは成果はあがらない 2013年6月10日

  「(いわゆる)マイナカードと健康保険証の強引な結びつけ」問題が、過去の「武術の体育授業への導入」や「小学生低学年への英語教育導入」などと同様に、いやおそらく、その数十倍もの、驚くほどの杜撰さ、無謀さで、進められていることに気づいていただきたいものだと願い、ここにこの一文を再掲載しました。

 

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  毎日新聞の小国綾子記者(夕刊編集部)の「発信箱・語学力より大切なこと」(2013年06月04日)というエッセイによると、鳥飼玖美子・立教大特任教授は「英語力だけでなく論理的に主張する力や異質な人への寛容さも育てなきゃ。英語力があっても自己主張できない、相手に理解してもらえないことってあります」という意見の持ち主だそうです。
  小学生に英語を正式教科として教えようという教育再生実行会議の提言、政府の方針には全面的には賛同できない、というわけですね。
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  小国記者自身の意見も<他人の気持ちをおもんぱかることが大事な国もあれば、おもんぱかることを良しとせず、言葉で理解し合う国もある。世界は広い。コミュニケーションの形もさまざまだ。語学力はもちろん大事。でも、もっと大切なのは語るべき内容を持っていること、分かり合いたいという情熱、そして異なる価値観や文化を面白がるしなやかさではないか>というものです。
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  もっともな議論に聞こえますが、気になるのは、鳥飼教授も小国記者も「英語力」と「論理的に主張する力」などを二つの異なるものとして理解しているところです。
  それでいいのでしょうか?
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  あえて断言しますと…。
  「小学生のときから英語を正式教科として教える」というこの試みは、まあ、十中八九の率で失敗するでしょう。
  「苦言熟考」が長く指摘してきたように、日本語は恐ろしいほどの勢いで劣化し、論理性を失いつづけています。ですから、そんな状態にある日本語で性急に考え出されたと見える教育再生実行会議の提言も、言うまでもなく、とてつもなく非論理的に組み立てられているに違いないのですから。
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  ちょっと前に文部科学省が柔道や剣道などの武術を正式教科にすることにしたときのことを覚えていますか?
  あのときも官僚は、その武術を生徒に教える人材=指導者をどう育てるのかを議論、検討する前に正式教科化を決めていましたね。政治家たちもそれに同意していました。
  耕しもしない、やせて乾いた土の上に種を蒔いても、苗はちゃんとは育つはずがないというのに。
  そうでしょう?生徒たちに武術を本心で教えたいのなら、最初にやるべきことは、武術指導ができる教員や顧問を育てることです。
  武術の体験も知識も不十分な指導者(候補)たちに何が教えられるというのです?
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  英語教育についてもおなじことが言えます。
  英語、英語教育を専門として学んだことがない(大半の)小学校の教師に何が教えられるのでしょう?
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  物事を少しでも論理的に考える習慣がある人たちには、それが武術であれ英語であれ、まずは優秀な指導者を育てることから始めるべきだ、と考えます。それが自明の最優先事項であるはずです。
  「日本の子には小学生のときから英語を正式教科として教える」ことにしようという教育再生実行会議と政府には、そんな最小限の論理の整合性さえ欠けています。
  ですから、そういう人たちが頭を寄せて間に合わせに考えついた武術・英語教育が、期待どおりの成果をあげるとは、とても思えません。
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  なんでもいいから、それらしいものを作り上げて売り出せ、もしその製品(商品)に欠陥があって、何か苦情があれば、そのときに対応すればいい、という考えの(いまの中国に多いとされる)無責任極まりない悪質製造業者を思い出しませんか?
  しかも、ここで“欠陥”製品(商品)=英語教育の犠牲になるのは児童生徒たちなのですよ。
  劣悪な教育、指導では、かえって英語(外国語)嫌いの児童生徒を増やすだけにさえなってしまいます。
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  つまりは、優秀な指導者を、国内で大量に育成したり(外国からおおぜい雇ったり)するという、当然の思考回路を欠いたこの提言どおりに「小学生への英語教育」が進んでも(鳥飼教授らが危惧するところは理解できますが)「英語力があっても」という(夢のような、望ましい)状態にはけっしてたどり着けないだろうということです。
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  「日本人への英語(外国語)教育」に大きな関心がある人は、逆に、間違いなく成果が上がる、地道な英語(外国語)教育政策を考えつくように、文部科学省や政治家たちに求めるべきです。「英語力があっても」というところに(できるものなら)たどり着けるような、効果的な教育政策を提出し、それを実行しろと迫るべきです。
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  私見によれば、日本語に比べれば、構造としては、英語はよほど論理的にでき上がっています。
  英語がいま世界の共通語として使われているのは、産業革命以来の世界経済を主導してきたのがイギリスとアメリカという英語使用国だったという事実だけによるのではなく、共通語にふさわしい、だれもが理解しやすい論理性を英語自体が備えているからでもあったはずです。
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  鳥飼教授と小国記者はむしろ、日本人が「自己主張できない、相手に理解してもらえない」状態から抜け出すためにも、「語るべき内容」持つためにも、「異なる価値観や文化を面白がるしなやかさ」を身に着けるためにも、「英語力」を高めるべきだ、そのための英語教育を行うべきだ、と発言するべきだったと思います。
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  尖閣諸島の帰属について、中国政府の独善的な主張に日本の政府と官僚が適切な対応をしていると思いますか?
  環太平洋パートナーシップ協定(TPP)に関する対米事前交渉で日本政府は自国に有利な成果を挙げたと思いますか?
  いわゆる従軍慰安婦問題で日本が世界の(すべてではないとしても)ほとんどの国ぐにに理解されないのは、「従軍慰安婦は存在しなかった」「従軍慰婦は必要だった」などという発言が、純に日本語で考えられた、世界から孤立した、あいまいな論理に基づいているからだ。とは思いませんか?
  安倍晋三首相が“得意顔”で発表した経済成長戦略・三本目の矢が、東京株式市場では500円以上の安値という形で迎えられたのは、この戦略が肝心かなめの具体性を欠く“論理的欠陥品”だったからだ、とは思いませんか?
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  逆説的にいえば、いまの日本はむしろ「日本人の多くは “英語力あがるのに” なぜか論理的に主張する力や異質な人への寛容さに欠ける」と評されるようになることを目指すべきです。
  日本人の英語力が全体としてそこに到達するころには「論理的に主張する力」も自ずとましになっているでしょうから。
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  極言しますと、劣化して論理性を失いつづけている日本語に、世界に通用する活力を吹き込むためにも、「英語力」の向上に日本人は真摯、真剣に取り組むべきです。
  いえ、日本人のすべてが英語を話すようになるべきだというのでは、もちろん、ありませんよ。
  そうではなくて、「論理的に主張する力や異質な人への寛容さ」は、日本人の英語力を向上させる努力の中での方がうんと育みやすいのではないかと思うわけです。
  その意味でも、文部科学省と政府は、理屈に合った、筋が通った、真に効果的な、新たな英語育方針を練り出すべきです。
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  【教育再生実行会議:小学校4年生以下から英語授業開始/「スーパーグローバル高校」で国際素養 提言、首相に提出】(毎日新聞 2013年05月28日 東京夕刊) http://mainichi.jp/feature/news/20130528dde001100054000c.html

  【教育再生会議 小学生英語、正式教科に】(東京新聞 2013年5月28日)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/education/edu_national/CK2013052802000261.html
  <政府の教育再生実行会議は小学校での英語教科化や小四以下での英語教育の実施を提言した。国の特例制度を利用して、既にこうした取り組みを進めている学校がある一方で、指導態勢が十分整っていないことを不安視する声も根強い><ただ小学五、六年の外国語活動が全国の学校で必修になったのはわずか二年前で、手探りで指導を続ける学校も多いのが実情だ。岩手県内の公立小の男性教諭(51)は「力量不足を感じることもある。教科になるとテストを作ったり、評価をしたりしなければならず、専門の教員がいないと難しい」と話す>

  【小学校の英語 導入にはさらに議論を】(北海道新聞 社説 6月2日)http://www.hokkaido-np.co.jp/news/editorial/470730.html
  <政府の教育再生実行会議が、英語を小学校の正式教科とするよう、安倍晋三首相に提言した><実行会議は「グローバル化に対応した教育」を柱に据え、世界を舞台に活躍できる人材の育成を掲げている。そのために、できるだけ早い段階から英語になじむことが望ましいと判断した>
  <小学校には英語の免許を持っている教員がほとんどいない。外国語活動の導入時の意識調査では、5、6年の学級担任の7割が「教える自信がない」と答えている><提言を踏まえ、中央教育審議会中教審)が今後、具体化に向けた議論を進める。教員研修のあり方や専任教員の養成、そのための財源も検討対象となるが、導入の是非はあくまで慎重であってほしい>

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