ずいぶん前に書かれた第78回「苦言熟考」を読み返してみてください。
当時の中国政府を批判する言葉の多くが、いまの安倍晋三・自民党政権の不正義・非道を糾弾するものとして使えます。
自由や民主主義ということに関していえば、安倍晋三・自民党政権の下で、日本の“中国化”は間違いなく進んでいます。
辺野古での米軍基地新設をめぐる安倍晋三・自民党政権の手口が「力づく」「強圧的」であるのは、中国政府の対チベット政策とほとんど同類です。
安倍晋三・自民党政権は、 その強権的な沖縄県民弾圧を、辺野古での米軍基地に反対する県民の意思が県民投票で明白になったにもかかわらず「恥知らずなことに、まだ正当化しています」。
中国政府の「政府に都合が悪い事実は誰にも見せない、報道させない、政府を批判させない」という政治姿勢は、いま、安倍晋三・自民党政権の根本姿勢でもあります。
<<参考記事>>
english.ryukyushimpo.jp
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再掲載: 【第78回 やはり、厚顔無恥でなければ政治家にはなれないようで】
3月21日の朝日新聞(インターネット版)に<ライス国務長官、中国に自制求める チベット問題>という見出しがついた短い記事が掲載されました。
アメリカのライス国務長官が中国の楊外相に電話をかけて<チベット問題で暴力を行使しないよう自制を強く求めた>というものです。
求めたという事実、求めた内容に問題はありません。
台湾で独立の気運が高まり、民主的な選挙で民進党が圧勝し、現実に独立宣言を行うようなことになれば、“力づく”でもこれを阻止する-という姿勢を中国政府はとりつづけています。
その中国政府が過去数日間、自主の拡大を求める動きが顕著化したチベットで行っているのは、まさに“力づく”の制圧行動です。
政府の考えに従わない者は、ただちに、ひたすら強圧的に、武力を行使してでも取り除く-という中国政府の姿勢には民主主義のかけらさえ見ません。
自主の制限に反対し、自由の拡大を求めるチベット住民を数十人という規模で殺害し、数百人を拘束している(といわれている)中国政府に、民主主義の信奉者が“自制”を求めるのは、当然のことです。
ですが…。
この3月20日はアメリカがイラクに先制攻撃を仕掛けてから5年目に当たっていました。
東京新聞は<世界保健機関(WHO)によると、開戦から今年一月までのイラク人死者は十五万人を超える>と伝えています。
米軍兵士の死者も4000人になろうとしています。
しかも、ライス国務長官も深く絡んで開始した対イラク戦争を正当化する根拠とされていた<大量破壊兵器><化学兵器>が実はまったくイラクに存在していなかったことがこれまでに、すでに、米政府自身の機関によっても繰り返し確認されています。世界貿易センター・ビルなどへのテロを行った組織アルカイーダとフセイン政権との関係もなかったことが明らかになっています。
ライス国務長官はそんな、正義と理不尽な(国際法)に反する(他国への一方的侵略という)犯罪・暴力行為を行ったアメリカ政府の責任者の一人なのです。
さらにいけないことには、ブッシュ大統領は20日の演説で、対イラク戦争に突入したことを、恥知らずなことに、まだ正当化しています。
ブッシュ政権へのアメリカ国民の支持率が20~30パーセント台に落ち込んでいることなど、まるで知らないかのように。
自分が民主主義の旗振り人であるかのようにいくら振る舞おうとしても、ライス長官はその“恥知らず”の一人です。長官の手もイラク人と、自分の命を犠牲にした米兵の血にまみれきっているのです。
<チベットで暴力を行使しないように?>
<アンタはどうなんだ?>と(腹の中では)思っているに違いない中国政府が素直に耳を貸すわけがありません。
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ところで、中国政府は外国の報道関係者を、そのチベットから追い出しています。外国人の安全のためだ-と主張していますが、これはいつもどおりの報道規制です。
政府に都合が悪い事実は誰にも見せない、報道させない、政府を批判させない-。
何かがあるとたちまちインターネットを規制する中国には、まだ表現の自由もないのです。
これもまた非常に重大な問題です。危険な状況です。
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8月には北京オリンピックが開かれます。中国は、世界の民主主義国の仲間入りがこれでできる-と期待しているようです。
中国には人権抑圧などまったくないかのように装いながら。
イラクでは死者などまるで出ていないかのように、平然と<チベット問題で暴力を行使しないよう自制を強く求めた>ライス国務長官も中国も、まったく…。
チベットでの事件を受けてヨーロッパで<北京オリンピックでは、少なくとも、開会式をボイコットするべきではないか>という議論が起こっています。
中国はまだ、そんな議論を起こされてもしかたがない国であるようです。
さて、日本政府はどう考えているか…。
アメリカがどう対応するかで決まるのでしょうね、いつものように。