再掲載 第69回  社説で“悪あがき”・読売新聞  )

2007/12/27  

  12月27日、読売新聞が「「沖縄」教科書 “政治的訂正”の愚を繰り返すな」と題した社説を掲げました。
  <来年度から使用される高校日本史教科書の沖縄戦・集団自決の記述について、教科用図書検定調査審議会は、教科書会社6社から提出されていた訂正申請を承認する見解をまとめ、渡海文部科学相に報告した。これを受け、文科省は訂正申請を承認した>
  ことに関してのものです。
  その要点は‐

  今回の“訂正”は
  <集団自決の際の軍命令の有無が裁判で争われていることなどを踏まえて、軍の「関与」はあったが「強制」は明らかでないとした、今春の検定意見の趣旨から逸脱するものではない。
  <しかし、日本軍が「自決しなさい」と言って住民に手榴弾を手渡したとの記述も訂正申請で認められた。これについては、その根拠となった住民の証言の信頼性を疑問視する研究者もいる。
  <検定済み教科書に対するこのような訂正申請がなし崩し的に認められていくのであれば、内外の政治的思惑によって、教科書検定制度そのものが揺らいでいくことにもなりかねない>

  ‐などというものですが、この中にすでに読売新聞が得意技としている“ゴマカシ”が含まれています。
  <その根拠となった住民の証言の信頼性を疑問視する研究者もいる>というのがそれです。
  研究者や学者の中に様々な意見があるのは(それぞれの主観で歪んだ調査をする=調査結果をゆがめている=というのでなければ)いいでしょう。
  ですが、読売はいつもその<研究者>がだれであるかを明確にしません。すれば、その研究者が札付きの皇国史観の持ち主、日本(大日本帝国)の価値観を至上とする民族主義者であることが判り、社説に客観性がなくなる=社説の主張にゴマカシがあることがばれる=ことを知っているからに違いありません

  <住民の証言の信頼性を疑問視>と沖縄県民を愚弄しながら、その<証言>のどこがおかしいかも、読売は指摘しません。
  新聞社の論説室で、読売グループの総大将(さきごろ自民・民主の大連立を森元首相と組んで策動し、小沢民主党党首をまんまとはめた))渡辺恒雄氏の顔色を想像しながらワープロを操作する論説員と、自分の家族を殺してしまったことを涙ながらに悔やみ悲しむ沖縄県民のどちらの言葉に<信頼性>があるか…。
  改めて言うまでもないことでしょう。

  <訂正申請がなし崩し的に認められていく>?
  その<訂正申請>が必要になったのは、そもそも、文部科学省が<旧日本軍の強制と関与>を完全に否定する教科書検定を行おうとしていたからです。‐<戦後レジームからの脱却>などと戯言を言って、日本を再び偏狭な民族主義の国に戻そう=そのためには旧日本軍を美化しつづけなければならない=と考えた安倍晋三前首相にへつらって。
  このときの<検定意見の変更>こそが、歴史的事実を無視して文部科学省自民党)の思惑を押し通そうという<なし崩し>的な動きでした。
  読売はその点には“知らぬ顔”を決め込んでいます

  それどころか‐。
  驚くべきことに、この社説は‐
  <政府が異例の訂正申請を認める発端となったのは、9月29日に沖縄県宜野湾市で開かれた検定意見の撤回を求める県民大会だった。
  <「参加者11万人」という主催者発表の数字が伝えられたが、その後、俯瞰(ふかん)写真に写っている参加者を数えた東京の大手警備会社は、1万8000〜2万人と指摘している。
  <実数を5倍以上も上回っていた主催者発表の数字に、政府が驚いたことで始まった“訂正劇”だった>
  ‐とさえ強弁しています。

  <11万人>は実は<2万人>だったのだから(自民党)政府は驚くことはなかった?
  要は、参加者たちが何を訴えたか、でしょう?
  たとえ、たった一人でも、だれかが真実を語っていれば、それに耳を傾けるよう政府に勧めるのが“公器”新聞の使命ではないでしょうか?

  言うまでもなく、その集会での訴えの中身が正当だったから=さらには、偏狭な安倍民族主義参院選挙で支持されなかったから=政府も教科書改悪を強行することができなくなったのです。

  その<大手警備会社>が(だれに依頼されて)どういう目的で<参加者を数えた>かもすでに分かったようなものですが、こんな数字を根拠にしなければ<沖縄の集団自決>問題が論じられない読売論説部の知的・倫理的水準の低さはどうしたものでしょう?

  この社説の最後の主張には思わず笑ってしまいますよ。
  <政府は、教科書検定に対する政治介入の愚を二度と繰り返してはならない>

  この書き方からは<政治介入>をしたとされるのがだれかがはっきりしませんが‐

  戦後60年余、<教科書検定に対する政治介入>をくり返してきたのは、ほぼその全期間で権力を掌握しつづけてきた自民党(とそれにつながる政党)だったことは明らかです
  自民党政府が<政治介入>をまったくしてきていなかったら、日本の教科書はとうに(読売新聞が忌み嫌う)もっと客観的で信頼性が高いものになっていたことでしょう。

  もし、<沖縄県民による政治介入>ということだったら‐
  それが今回は歴代政権による政治介入よりは強力で有効だったということだったら‐
  ばかなことを言うものではありません。
  時の中央政権以上の<介入>力を持つ権力がほかのどこにあるというのでしょう?

  根本は、日本軍の関与・強制を全否定しようとした文部科学省教科書検定部門)が間違っていた、ということです。
  安倍前首相の戦前への回帰趣味に悪乗りしたことが誤りだった、ということです。

  ところで、この社説は<政府が驚いたことで始まった“訂正劇”だった>と断言しています。
  政府が驚くと<訂正>がありえる‐と社説が信じているところを見れば、教科書検定が時の政府の顔色をうかがいながら行われているということを読売は、やはり(正当にも)認めているわけです
  その点がこの社説の唯一のトリエですね。

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