第340回 この“ANNOUNCE”はどう訳す?

  いま読んでいるVINCE FLYNNの "PROTECT & DEFFEND" (POCKET BOOK)という小説の中で(chapter 52 - page 325)再び“ANNOUNCE”という単語に行き当たりました。
  「再び」というのは−−。「苦言熟考」が10年ほど前に紹介した、無残な誤訳があきれるほどに数多く散乱している翻訳本の中では、“ANNOUNCE”も他の多くの語句と同様に、意味がひどく取り違えられていたことを思い出した、ということです。
  いえ、今度行き当たったペイパーバックの中の“ANNOUNCE”は日本語に翻訳されていたわけではありませんから、当然ながら、誤訳もされていません。ですから、ここは、ああ、こんな場面ででも“ANNOUNCE”という単語を使うことができるのだな、と新鮮な思いでこの単語を見つめ直したというだけにすぎません。
  「新鮮な思い」がしたのは、多分に、この「アナウンス」のようにカタナカ英語として日本に定着している単語は、その意味を考えたり翻訳したりするときに、日本語として定着している語感・先入観に引きずられてしまい、最もふさわしい意味を見つけ出す際に必要な“想像力”がうまく膨らまなくなるからだったように思います。
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  さて、その"PROTECT & DEFFEND"の中では、“ANNOUNCE”は次のように使用されていました。
  announced.
  そう言い放った。
  <国家安全保障ティームの他のメンバーたちは(ミッチのやり方をイングランド長官ほど)熱心には支持していないように見えた。
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  「他のメンバーたち」がアシャニに対するミッチの脅しをイングランド長官ほどにはよく評価していないのは、テロリストの活動とつながりがあると疑われているとはいえ、外国の要人アシャニをCIA職員の一人であるミッチが「殺す」というのはアメリカ国内法に反しているし、穏当ではない、などと考えているからです。
  だからこそ、ミッチのやり方を支持するイングランド長官はわざわざ“GOOD”と“ANNOUNCE”する必要を感じたわけですね。「もったいぶる」ような強い発言にしたかったのですね。
  つまり、ここの“ANNOUNCE”の訳は、日本人が普通に馴染んでいる単に「知らせる」「発表する」「放送する」などではいけない、ということです。
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  一方、上に述べた「無残な誤訳があきれるほどに数多く散乱している翻訳本」というのは「合理的な疑い」(延原泰子訳 ハヤカワ)のことです。
  この本の中で“ANNOUNCE”が無残に誤訳されてしまっていたのは、第一には、翻訳者が、カタカナ英語の「アナウンス」に引きづられ、その意味が理解できたような気になり、辞典を開いてみる手間を省いてしまったため、だったのではないでしょうか。
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  「苦言熟考」はこう書いていました(http://d.hatena.ne.jp/kugen/20081204/1228353415)。
  <手元に12〜3年前(注:1990年代の初めごろ)に買ったペイパーバックがあります。法廷推理小説<REASONABLE DOUBT> Philip Friedman (IVY Book)です> <実は、この本を日本語訳した文庫本(「合理的な疑い」延原泰子訳 ハヤカワ)も併せて持っているのですよ> <わたしはこの両方を「翻訳とはどういう仕事なのか」を考えるための材料としてずっと手元に置いてきたのです。「翻訳とは難しい仕事なのだ」ということをいつでも思い出させてもらうために、捨てずにこれまで持ちつづけてきたのです>
  <読んだのは英語版が先でした。ハヤカワ文庫版はあとでリトル東京日本書籍の店で偶然見つけ、「どんな日本語になっているのだろう?」という単純な興味から買ったものです> <その日本語版を読んで、わたしは驚いてしまいました。「こんな本が堂々と出版されていていいのだろうか」と思いました> <まず、日本語そのものが拙い、と感じました> <どうかと思われる訳の展示場とでもいえるほどに、誤訳・悪訳にあふれていました>
  <この日本語版の「拙い訳」の中には「辞書をひいてさえいればこんなことにはなっていなかっただろうに」というものがたくさんあります。一例として He used the temporary I.D. Miller had arranged for him so he did not have to be announced every time he visited her. を見てみましょう。訳はこうです> <訪問するたびに自分の名前を声高に告げられるのを防ぐため、ミラーが手配してくれた仮身分証明カードを見せて通った」>
  <おかしいと感じませんか?“He”というのはライアン(弁護士)です。“Miller”は彼の相棒になるかもしれない女性弁護士で、二人はミラーの法律事務所内のオフィスで会うことにしていました> <問題は“announced”です。そこを訳者は「声高に告げられる」としています> <…そんなばかな!来訪者があるたびに「XXさん、ご来社!」などと声高に告げる会社がどこかにありますか?まして、ここは法律事務所なのですよ>
  <さあ、辞書をひいてみましょう。旺文社の「英和中辞典」には“announce guests”という例があって、それに「客の来訪を取り次ぐ」という説明がついています> <つまり、ここは「いちいち身元を照会する手間をかけずにオフィスに入ることができるようにミラーが仮の身分証明カードを作っておいてくれたから、ライアンはそれを使った」と言っているわけです。> <訳者はここでたぶん「あれ?」と感じたに違いありません。ですが、きっと「まあいいか。時間もないし」などと、辞書を開いて見ることなしに通過してしまったのでしょう。危険な落とし穴です>
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  小学館ランダムハウス英和辞典にも「【ANNOUNCE】2.(客の)来着を告げる−announce guests」という説明があります。
  自分には分かっていると思い込んで、あるいは、その気になって、安易に翻訳するのは危険だ、ということですよね。「おや?」と感じるところがあったら、辞典で調べてみるぐらいの初歩的な手順は必ず踏むべきだ、ということですよね。いや、その前に、「おや?」と感じるだけの情報・理解力・常識などを身につけておかなければならない、ということですよね。
  日本人の耳にも馴染んでいるはずの“ANNOUNCE”のような単語でさえ、ある文脈の中でその意味するところを適切に把握するのは簡単ではないのですからね。
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  いやいや、翻訳の際と限られたことではありません。先入観に邪魔されることなく、身の回りにある情報を正しく理解するのは、それが何であるにしろ、難しいものです。常に十分に心しておきたいところです。
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