第201回 西岡議長と読売新聞の情報伝達能力

  こんな見出しをつけた記事が読売新聞にありました。
  <<首相、原発視察時に格納容器破損の可能性認識>>(2011年5月16日22時13分)
  どう読みましたか?
  わたしは最初は「原発視察をしているあいだに格納容器が破損する可能性があると知りながら首相があえて視察を行った」と受け取りました。そう受け取って、なんともずいぶん無謀な首相がいたものだ、とあきれました。あきれて記事を読むと…。
  <首相は震災発生翌日に自ら原発を視察したことに関連し、「(原子炉の)格納容器の圧力が上がっていて、(圧力を下げる)ベントを行わず放置すれば、容器が破壊される恐れがあるとの認識はあった」と述べ、格納容器破損の可能性を認識しながら視察したことを明らかにした>と書いてあります。
  なんだ、格納容器が破損する可能性は「視察しているあいだに」ということではなくて、遅かれ早かれ、ということだったのか…。
  だったら、見出しは、たとえば、「格納容器破損の可能性、首相原発視察時には(すでに)認識」とでもすべきだったのでは?
  上の見出しは語の配置が間違っていたわけですね。
  ですが、問題は、むしろ、この程度の日本語力しかない大新聞が平気で「菅首相には情報伝達能力が欠けている」などといった非難をしつづけていることではないでしょうか?
  首相にそんな認識があったかどうかという問題の前に、自分の情報伝達能力はどうなのか、と読売は問うてみるべきだったとは思いませんか?
  十分な情報伝達能力が読売新聞自身に欠けていることは、上の見出しからだけではなく、記事自体からも分かりますからね。
  だって、記事を読んでも、首相が<格納容器破損の可能性>を<認識>していたことがいいことだったのか悪いことだったのか、そのことにどういう意味があるのか、読売がそれについてどう感じているのかも分かりませんし、その認識が原発事故のその後の状況にどんな影響を与えたかも知ることができないではありませんか。
  要するに、上の記事はまったく何も伝えていないに等しいのです。首相のやることに読売はとにかく批判的なのだな、という印象を読者に与えることのほかには。
  日本にとってさらに大きな問題は、情報伝達能力が欠如しているのは読売新聞に限らないということです。すべての報道機関が上の記事と同様の間違いを犯しつづけています。
  根拠や裏づけがない、説明不足の記事を書きつづけるという間違いを。
  注視すれば、日々の報道の中にいくらでも見つかります。
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  情報伝達能力が貧しいのは政治家もおなじです。
  読売新聞の<<西岡議長、本紙に寄稿「首相は即刻退陣を」>>(2011年5月19日03時04分)という見出しの記事によると、西岡参院議長は、菅首相への<具体的な疑問点として、原発事故について正確な情報を国民に知らせていないと指摘したほか、仮設住宅建設やがれき処理の遅れ、すべて先送りの首相の政治手法などを挙げ、いずれも「政権の座に居続けようとする手法」と切り捨てた>そうです。
  おかしな発言ですね。珍妙な記事ですね。
  そもそも、<正確な情報を国民に知らせていない>と他人を責めるだけの知識があるのだったら、<正確な情報>をつかんでいる自分がそれを国民に知らせたらいいではありませんか。それが国民のためというものです。参院議長にふさわしい行動です。しかし、西岡議長は知らせません。知らせないのは、つまりは、自分もその<正確な情報>を持っていないからでしょう?
  考えてみてください。<正確な情報>を自分も持っていないのに、他人が<正確な情報>を伝えていないと、いったいどうして言えるのでしょう?どうして分かるのでしょう?
  <正確な情報>を国民に<知らせていない>という断言と<知らせていないと思う>という思い込みとのあいだには膨大な空隙があることが西岡議長にはまるで分かってません。西岡議長の日本語力と情報伝達能力、つまり頭脳はその程度なのです。
  <仮設住宅の建設や瓦礫処理の遅れ>というのもおかしな決めつけです。その<建設>や<処理>が遅い、というのは多くの日本国民に共通する思いでしょう。しかし、<遅れ>と非難するためには、あのときにああしていればこれこれの期間で<建設>や<処理>ができていたはずだ、ということを証拠や根拠を挙げて言わない限りはただの難癖です。参院議長が有しているべき品位に欠ける、実に無責任な<切り捨て>です。
  東日本大震災についてはだれもが「未曾有の」という枕詞をつけて語りますよね。「今までに一度も無かったこと」という意味です(現代国語例解辞典)。そんな<今までに一度も無かった>大震災・原発事故に、後手に回ることなく、最高のタイミングで対処しつづけることがあなたにはできますか?
  政権政党が自民・公明であっても、民主党の党首が小沢一郎氏や西岡氏であったとしても、それはできなかったのでは?
  政府は後手に回っていると非難する政治家や報道機関が<どうすれば先手が打てたか>を語っているところを見たことや聞いたこと、読んだことがありますか?わたしはありません。
  <断言>と<思い込み>がそうであるように、<遅い>と<遅れ>のあいだにも大きな隔たりがあるのです。それを故意に混同させて他人を非難するのは卑怯というものです。
  そんな卑怯な発言をありがたがって<切り捨てた>などという、当世おおはやりの、軽薄なことばで締めくくった読売新聞には、理性や知性といものがまったく感じられません。
  いやいや、たとえば、「XX選手が**の世界大会で3位になった」というような記事を、そこに1位と2位が誰であるかが書いてなくても喜んで受け入れる日本人です。そんな情報欠陥のニュースが堂々と通用する日本です。証拠や根拠を掲げないで他人をただただ非難するだけの政治家や報道機関が実はどれほど日本を歪めているかなどにはだれも関心がないのでしょうね。恐ろしく悲しいことです。
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  こんな記事もありましたよ。
  <<想定が十分できる範囲の事故だった…鳩山前首相>>(2011年5月21日18時41分 読売新聞)
  <民主党の鳩山前首相は21日、北海道苫小牧市内で開かれた後援会の会合であいさつし、東京電力福島第一原子力発電所事故について、「想定が十分できる範囲の事故だったにもかかわらず、いまだに放射能流出を完全に止めることが出来ていない。事実も必ずしも国民に明らかにされておらず、政府の責任を大変重く受け止めなければならない」と述べ、菅政権の対応を重ねて批判した>
  鳩山氏の頭が通常の人びととは違って動いていることは普天間基地の移設について嘘をつきつづけたことをまったく恥じていないことでも分かりますが、ここでも自分が西岡参院議長と同様の自己中心で無責任な思考の持ち主であることを明らかにしています。
  この事故を自分が<想定>していたことを鳩山氏は以前に一度でも証明していました?典型的な、卑怯者の〔後出しじゃんけん〕ですよね。
  一方の<事実も必ずしも国民に明らかにされておらず>という断定は、西岡議長の<正確な情報を国民に伝えていない>という決めつけとおなじです。自分が<事実>を知っているのならそれを国民に知らせたらいいではありませんか。何が<事実>であるかを知らないから自分で<事実>を国民に知らせることができないのでしょう?知らないくせに、他人が<事実>を明らかにしてない、と決めつける?
  こんな人物のこんな無責任な発言をあたかも大きな意味があるかのように報道する新聞?
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  <<参院復興特別委員長に法相を更迭された柳田氏>>(2011年6月8日16時07分 読売新聞)
  これは〔法相を更迭された柳田氏を参院復興特別委員長に〕であるべきですよね。