"REASONABLE DOUBT" (Ivy Book)とその日本語版文庫本(出版社と翻訳者の名は伏せておきます)を読んで「はてな?」と感じた個所を順に拾ってみました。
--------------
<011>
バーの薄暗い照明の中ですら、明らかに赤くなった青灰色の目が涙であふれた。(P.54)
The blue-gray eyes, visibly reddened even in the bar’s
dim light, filled with tears. (PAPER Bck P.26)
この読点の打ち方では「薄暗い照明の中ですら…目が涙であふれた」と読めます。<薄暗い照明の中で><目が涙にあふれた>ことが異常なことのような書き方です。<悪い日本語>の好例ですね。
試訳:バーの薄暗い明かりの中だったのに、彼女の青灰色の目が赤みを帯びているのが見えていた。その目に涙が満ちた。
-----
<012>
<初診の方は先に診察を受けること>(P.73)
NEW PATIENTS MUST SEE THE DOCTOR FIRST. (PB P.36)
調剤も行なう診療所に掲げてある看板の文字です。これもなんだか変な日本語ですね。
試訳:<初めての方は先に診察を受けてください>
-----
<013>
あなたが十年前野に下り…(P105)
I also know you left the government ten years ago…. (PB P.54)
「野に下り」は、間違いではないかもしれませんが、この言葉は<権力の座(あるいは、それに近いところ)を離れること>をいう場合がほとんどですよね。ライアンの元の仕事<連邦検事>が<権力>といえるほど強力なものかどうか?
試訳:あなたが十年前に政府の仕事を離れられたことも知っています。
-----
<014>
昼休みの後、ミラーは意見陳述に入った。(P.130)
After the lunch break she presented her case. (PB P.66)
この<present his/her case>という言い方は幅広く解釈することが可能です。<事件に関して(法廷で検察側・弁護側)の主張を展開する>といった感じですね。ただ、この場面では、弁護人ミラーは弁護側の証人を証言台に招いています。ですから、ここでは<直接尋問>(direct examination)を行なったわけです。<意見陳述>ではありません。
ちなみに、検察が検察側証人を尋問するのも<直接尋問>で、この証人を弁護側が尋問すれば<反対尋問>(cross examination)になります。
試訳:昼食のあと、ミラーは弁護側証人に対する直接尋問を行なった。
-----
<015>
ニューヨーク州高位裁判所(P.141)
New York State Supreme Court (PB P.72)
<Supreme Court>はほとんどの州でその州の最高裁判所なのですが、ニューヨーク州では重罪(殺人、強盗、放火など)事件の第一審裁判所です。<高位>は誤解を招きます。
-----
<016>
あの判事は厳しい刑を与えます。目立たないところで差が出るかもしれない点は認めましょう。(P.146)
The man gives tough sentences. I admit that could
make a difference down the line. (PB P.74)
<down the line>を「目立たないところで」としています。
この<the line>は<裁判の継続>を意味しています。
試訳:裁判がつづいているうちに、どこかでいつか違いとなって…
-----
<017>
「ばか、ばかしい」ベッカーははっきりと二つに分けて発音した。(P.153)
“Bull. Shit.”Becker made it two distinct words. (PB P.78)
翻訳ではこういうのが一番厄介かもしれません。<bull>と
<shit>は普通はつづけて使われます。汚い言葉です。意味は、その語感にこだわらずにいうと<くだらぬこと、でたらめ、まやかし>です(「英和中辞典」旺文社)。
<二つに分けて>は訳さなくても許されるだろうという気もしますが、それを生かそうと思えば、漢字の熟語ふうにするのがいいかもしれませんね。分けやすいという点で。「ばか、ばかしい」では「はっきりと二つ」に分かれていません。
試訳:「弁解。無用」。言葉をくっきり二語に分けてベッカーは言った。
-----
<018>
「われわれ、とはどういう意味だ、白人」ミラーが言い返した―言い古されたギャグの決まり文句だが、笑いはない。(P.167)
“What do you mean, we, paleface?” she asked — the
punchline of an old joke, delivered without humor. (PB P.85)
<paleface>がただの<白人>ではちょっと物足りない感じがします。辞書(「英和中辞典」旺文社)には「《ときに軽蔑的に〔北米インディアンと区別して〕白人》とあります。つまり、ここの<paleface>は、昔、<われわれ>と言って自分たちに近づいてくる<白人>たちを警戒したり侮蔑したりしながら呼んだインディアンの言葉なのです。
重要判例を読み落としたライアンが<僕たちは>と言ったのに対して、<見落としたのはあなたです。わたしを含めないでください>という意味で、ミラーがこの冗談を口にした、という状況です。
<punch line>がペイパーバックでは<punchline>になっていますが、普通は二語に分けて書くようです。植字ミスかもしれません。
試訳:「僕タチ?ソレ、ドウイウ意味?ソコノ白イ人」。ミラーが尋ねた―古い冗談の、型どおりの言い回しだったが、おかしさは含まれていなかった。
-----
<019>
「本当に知らなかった。もとの契約条件の言質を彼から取らなかったのか?」
「取ったとも、口頭でな。書類にしてくれと頼んださ。もうすぐできる、とそればかりだった」カールの口が唾をはきそうに歪んだ。「そうよ、書類はもうすぐできるとね。まるで、小切手は郵便で送る、直接届けに行くような危ない真似はするもんか、というのと同じだな」
「なぜ、ふざけるな、と彼に言わなかった?なぜ他の金融業者へ行かなかったんだ?」
「どういうことだい?あんたはどっちの味方なんだ?」(P188)
“I didn’t know. Didn’t you have a commitment from
him on the original terms?”
“Sure. Verbal. We asked for papers. He kept saying,
they’re on the way.” Karl’s mouth twisted as if he
was going to spit. “Sure, the papers are on the way.
Like, your check is in the mail, and I won’t come in
your mouth.”
“Why didn’t you tell him to go to hell? Why didn’t
you go to somebody else?”
“I don’t get it. Whose side are you on.”(PB P.96)
殺された息子ネッドのビジネスでのカネの動きをライアンは調べています。カールはネッドの顧客の一人でした。
訳文の中でよく分からない個所は<直接届けに行くような危ない真似はするもんか>です。<I won’t come in your mouth>にそんな意味があるのでしょうか?
<come in --’s mouth>というのはわたしがこれまでに聞いたことがない表現で、手元の二つの辞書にも載っていません。
<あれ、おかしいですな。すでに郵便で送ってあるんですよ。まだ着いてません?>という、よくありそうな(見え透いた)言い訳はここに読めますが…。
試訳:「取っていたさ。口約束でね。ちゃんと書類にしてくれと頼んだんだよ。彼は、書類はいまそちらに向かっているところだって言いつづけたんだ」。唾を吐き出しでもするかのようにカールの口がゆがんだ。「そうだろうとも、書類はこちらに向かっているところだろうとも。ちょうど(使い古しの、見え透いた言い訳)おたくへの小切手はいま郵送中なんです−みたいに。わざわざ届けるようなことはするもんかってね」
(以下略)
-----
<020>
化粧で隠した顔色は青ざめているが、落ち着いた様子だ。(P.193)
She was pale under her makeup, but she seemed
steady.
化粧で<隠した>顔色が青ざめて<見える>というのは不思議ですね。
試訳:化粧の下の顔色はよくなかったが、彼女は落ち着いているようだった。
-----