転載: 加州毎日新聞「時事往来」 --1988年4月22日-- 眠り下手

 

=加州毎日新聞は1931年から1992年までロサンジェルスで発行された日系新聞です=

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  ますます眠りが下手になってきている。
  寝つきだけはまだ悪くないことを頼りに、体の底に少しずつ蓄積していっているはずの睡眠不足はとりあえずは気にしないことにしているが、この頃は寝ついてから二時間もしないうちにもう目が覚める。小一時間が過ぎて再び眠りに落ちたかと思うと、二時間後にはまた目を覚ましてしまう−−。
  ほとんど毎夜こんな調子だから始末が悪い。夜中から朝方にかけて三度、四度と目覚める眠りはことさら珍しいものではないかもしれないが、目覚めるたびに、ほんの短い間とはいえ、頭がいったん冴えざえとしてしまうのが、いささか辛い。

  覚めたがる脳を騙す道具は相変わらずラジオだ。
  だが、すぐにも眠りに戻りたい−−現実の、あるいは、昼間の記憶の断片などが頭の隅に蘇ってこれ以上眠りを妨げないうちにもう一度眠りたい−−と祈る気持ちでつけるラジオの番組が、この頃なぜか以前とは違ってきた。
  ニュース専門のAM局にダイアルを合わせることが多くなったのだ。
  甘い、優しげな曲ばかりを流してくれるKBIGもKLITEも最近はどうもいけない。だからといって、ロックやカントリーが眠りを誘ってくれるとも思えない。
  ジャズは、理屈以前の好き嫌いがあるらしく、当たり外れが大きい。たちまち眠れる曲もあれば、かえってすっかり目覚めてしまう曲もある。
  ここでいう<眠れる曲・目覚めてしまう曲>の違いには、もちろん、何の基準もない。音楽としていいか悪いかも無関係だ。眠りたがる頭に“非現実的”に聞こえればそれがいい曲だ。

  よりよい眠りを求めてくり返した試行錯誤の末にやっと辿り着いたところがニュース専門局だった、というのは奇妙な話だ。−−AM98が“非現実的”なニュースを流しているはずはないからだ。
  たとえば、今朝未明の放送では、西独フランクフルトでの、サウディアラビア航空オフィスへの爆弾テロ事件がくり返して報じられていたはずだ。−−生々しい“現実”の報道だ。
  数日前には、電話回線の向こうから訛りの強い英語が、ナポリの米軍クラブ爆破事件の模様を報告していた。オクダイラという名も、レッド・アーミーという単語もちゃんと耳に入っていた。−−これまた、すこぶる“現実的”なニュースだった。
  ほかにも、季節外れに冷え込んだ朝は、ハリウッドの気温が、たとえば、四八度だと知らせてくれる、地震の際には震源地と震度、被害の状況をただちに伝えてくれる。−−ニュース専門局が送ってくるのはいつも、“現実”そのものなのだ。

  なのに、いつの間にか、夜通しニュース・ラジオをつけっぱなしにしておくようになった。
  起こったばかり、あるいは起こりつつある現実が、自分の中の取るに足りない現実を片っ端から古く陳腐なものにしてしまい、ついには意識の底から払拭してくれて、頭を眠りに戻してくれるのかもしれない。
  たしかに、この世界で起こっている−−ニュースとして報道されている−−さまざまな出来事と比べれば、自分の周りの現実は、夜の眠りの間にまで気にかけなければならないほど値打ちのあるものではないのかもしれない。
  時々刻々と移り変わる現実を絶えず報じつづけるラジオ放送を聴きながら眠る−−。なるほど、悪い“療法”ではないかもしれない。
  いや、いや、それにして、実に不器用な眠りだ。