「警官がやって来た!」

 

 

   モンタレイパーク。1990年代の半ばごろ。ある日の夕方近く…。

   わたしのアパートがある二階への階段を、大きな足音を立てて人が上がってきた。制服警官だった。警官はいきなり「911に電話したか?」と尋ねてきた。わたしは<違う家に駆けつけるようでは、警察も頼りないな>と感じながら「いいえ」と答えた。だが…。よく見ると、警官の表情は、どういうわけだか、青ざめて見えるほど緊張している。「いま、ここには、あなた一人だけか?」「ええ」「子供がいるのでは?」「子供はいない」と答えたのだが、警官は信用しない。「中を見せてもらっていいか」「もちろん」

   その、警官が中を見終えるまでの短いあいだに、わたしは重大な“事実”思い出した。「ああ、さっき電話機をクリーンしたんです。そのとき、もしかしたら。偶然に911を…」。あきれきった(いくらか軽蔑がまじった)表情で警官がわたしを見ていた。「気をつけてよ!」

   警官は去った。<子供か!>と思った。親などに暴力を受けている子供が、おとなの目を盗んで911に電話をかけて助けを求める…。ありそうな話だった。

   それから何年も経ってから、ディーン・クーンツの小説「ヴェロシティー」(BANTAM BOOKS)を読んだ。真犯人(連続殺人犯)が主人公を犯人にでっち上げようと、主人公の自宅に被害者の一人の死体を持ち込んだ上で、その家の電話機を使って911を呼び出し、何も語らずに切る。間もなく保安官助手が駆けつけてくる。死体を発見されてその犯人にされたくない主人公は戸口で嘘を並べることになる。まずは<番号案内411と間違えて911にかけてしまったのだ>というが、保安官助手はそれを信じない。疑ったのは、幼児・児童虐待。モンタレイパークでわたしが体験したこととおなじだ。だが、仕事熱心なこの保安官助手はさらにつづけて、拉致・誘拐・監禁の可能性を疑う…。救出を求める被害者からの電話だったかも。

   そこまで読んだとき、<あ、そうか!>と思った。<モンタレイパークのあの警官も、一時的だったにしろ、これは誘拐・監禁事件だってこともありえる、と疑っていたのだ!だから、あのとき、あれほど緊張していたのだ!>。

   …“いかにもアメリカ”。長いあいだの謎が解けた瞬間だった。