~あるカラオケシンガーのメモワール~ <3>

第3話 ~フィリピン~ 一九八四年八月 <3>

  (このストーリーはフィクションです。作中の人物、企業などはすべて作者が創作したものです)



     ~フィリピン~  =一九八四年 八月= 

       〈三〉 



  高野さんはわたしの、あの夜最初の客だった。一年ほど前に二番目の娘をブラカン州の実家で生んだわたしが再びカラオケパブ[さくら]に舞い戻って働き始めた夜だった。

          ※

  生まれた娘はユキと名づけていた。…日本で見た雪の美しさが忘れられずにつけた名だった。

  〈きれいな名だこと〉。リサは心の底からほめてくれた。〈それに、本当にあの子にふさわしい名!〉

  確かに、ユキの肌色は、旧時代の植民者、スペイン人の血が少なからず混じっている―フィリピン人としては色白の―わたしを含めた、わたしの家族のだれよりも白かった。

  克久の態度は違っていた。自分自身の娘の名に、彼は何の愛着も見せなかった。名を決めたことを知らせる国際電話のラインの向こうで克久は〈ユキ?あ、そう?〉とつぶやいただけだった。

          ※

  〔ママ〕リサは二番目の歌[コイビトヨ]を歌い終えようとしていた。高野さんが大きな拍手を送った。日本人のプロ歌手のように深々と頭を下げると、リサはそのままバーのカウンターの端に向かった。そこで自分のノートに目を通して、カラオケガールたちのその夜の働き具合、客のテーブルにつく順番を確認しておくつもりのようだった。

  「ツギハひろサン、オネガイシマス」。ステージわきで、マイクに向かってマネジャーのマヌエルが叫んだ。

  ヒロと呼ばれた男性がそのステージのすぐ前で立ち上がった。その男性の友人たちと、とにかくその場を楽しく過ごそうという店の女たちが、さかんにヒロさんを囃し立てた。若いホステスが一人、ヒロさんに伴ってステージに向かった。…背が高い、ほっそりとした、まだ十六歳か十七歳にしか見えない子だった。

  マヌエルはすでに、カラオケマシーンにテープを入れ終えていた。デュエットソング[イザカヤ]のメロディーがスピーカーから流れ出ていた。

  ヒロさんの歌は、そのひょうきんな表情からは想像できないほどうまかった。

  若いホステスはまだその歌を自分のものにはしていなかった。何度もテンポを外しては、そのたびに恥ずかしげにほほ笑んでいた。

  そんな若いホステスを手振りで励ましながら、ヒロさんは機嫌よく歌いつづけていた。

  「メルバ、ガンバッテ」。唐突に、高野さんが大きな声を上げた。

  メルバが高野さんに大きな笑みを返した。…〔とてもきれい〕という言葉は当てはまらない顔かもしれなかったけれど、メルバの目は、どこか危うげな趣をたたえながら、驚くほど愛くるしく輝いていた。

          ※

  高野さんのメルバへの声援で、わたしは、[さくら]で働く女たちのことはわたしよりあの人の方がはるかに詳しいのだということに初めて気づかせられていた。わたしはまだ、以前の勘が取り戻せない、不慣れな戻りホステスにすぎなかった。…〈たとえばメルバのような、すでに馴染んでいた女たちのうちのだれかといっしょだったのなら、この人はもっと楽しい夜を過ごしていただろうに〉。わたしはそう感じずにはいられなかった。

          ※

  あのとき、[さくら]には二十四人の女たちがいた。

  マルコス〔王朝〕の長期にわたる無為無策の観光・風俗施政のせいで―〔セックス〕という文字を取り除いてもまだ―〔東南アジア最大の夜の歓楽街〕という呼称がいつもついてまわることになったエルミタ地区の中で、カラオケの店として[さくら]は大きい方に属しているということだった。…店内はうすいピンクの壁紙と簡単な照明、小豆色の布張りの椅子、黒いテーブルでつつましく飾られているだけで、わたしがかつて働いたことがある日本の二つの店の内装とは比較にならない質素な造りだったけれども。

  客は五組、十三人。店に出ていた女たちのほとんどがテーブルにつけるだけの客数だった。

  〈よかったね、みんな〉。わたしは思った。〈今夜はいい夜になるかもしれないね〉

          ※

  女たちには、客が彼女たちに飲ませる、カクテルグラス入りの〔ソフトドゥリンク〕一杯について一〇ペソ―市内のブラックマーケットでの交換レートなら一二〇円あるいは四〇USセント―が、客の支払いの中から払い戻される仕組みになっていた。客が特に勧めたり拒んだりしない限り、〔ソフトドゥリンク〕は三十分から一時間ごとにテーブルに運ばれる慣習だったから、たとえば、二時間遊んでいく客についた女たちの手には、二〇ペソから四〇ペソが入るはずだった。基本日給二〇ペソで働いていた―〔ママ〕以外の―女たちにとっては、だから、まずは客につくこと、つけるだけの数の客がやってくること、ついた客たちに気に入られ、彼らが長く遊んでいってくれることが、いってみれば、死活に関わる問題だった。

  いや、午後七時の開店から午前三時の閉店までほとんど客につきどおし、という忙しい夜―〔ソフトドゥリンク〕からの収入が一夜で二〇〇ペソほどになる夜―もないことはなかった。でも、日本からの観光客が減っていたあのころ、そんな夜は多くはなかった。

  チップを出す客もまれにはいた。ついた女にそれぞれ五〇ペソ―どころか一〇〇ペソ―だって弾む客もいた。それでも、女たちの方からチップをねだることはまずなかった。客に嫌われることを危惧して、店が女たちに禁じていたからでもあったし、女たちの方でも、チップは運しだい、まったくの余得だ、と受け取っていたからでもあった。

  本当の額は知りようもなかったけれども、ならしてみれば、あのころ[さくら]で働いていた女たちの月収は大方一五〇〇ペソ前後というところに違いなかった。

          ※

  テーブルの上の灰皿にはすでに数本の吸い殻がたまっていた。灰皿をきれいなものに交換してもらおうと、わたしはウェイターのレイモンドに向かって手を上げた。レイモンドは大きくうなずくとすぐに、わたしたちのテーブルの方に足を運び始めた。

  「僕が体験してきたところでは、トゥリーナ、フィリピン人というのは一般に…」。高野さんはまだおなじ話題にこだわっていた。「他人の英会話の能力をとても気にしているよね。…自分自身の能力についてもそうらしいけど?」

  人好きのする微笑を浮かべながら、レイモンドが無言で灰皿を取り替えていった。

  「気にするというのは、トゥリーナ」。高野さんはつづけた。「みんなが必ずしも期待されたとおりに英語が話せるってわけじゃないからかな?つまり、この国では英語が―タガログ語と並んで―公用語になっているにもかかわらず、という意味なんだけど…。英語を滑らかに話すことができないというのは、やはり、みんなにとっては恥ずかしいことだから、なのかな?」

          ※

  正直に言えば、わたしはすでに、高野さんの、事を決めつけないしゃべり方を好ましく感じ始めていた。その謙虚な物の言い方はあの人の、ある種の知性を示しているはずだ、と信じ始めていた。

  今度はわたしが胸の中で苦々しいゆがんだ笑みを浮かべる番だった。…克久の求愛を受け入れたときがそうだったように、自分がまだ、男性の価値をその聡明さで判断しようとしていることに気づいて、ひどく当惑していたのだった。

  そんな自分をからかうようにわたしは答えた。「アタマイイナ、高野さんは」

  そう言われて、あの人が首を横に振りながらまたあの苦笑を浮かべるなんて、わたしは思ってもいなかった。

  わたしの当惑はさらに大きくなっていた。でも、言いかけていたことをわたしはつづけた。

  「確かに、高野さん、あなたが気づかれたように、英語をちゃんとしゃべることができなかったら、わたしたち、恥ずかしいと思うかもしれません。でも、それ、英語が公用語の一つだから、じゃありません。…それ、なぜだか分かりますか」

          ※

  わたしは少しためらっていた。どうしてそんなふうに高野さんに言い挑んでいるのかが、自分でよく分かっていなかったからだった。

  「なぜだか聞きたいな、トゥリーナ」。高野さんは言った。

  「カシ(なぜって)。フィリピンでは教育というのはずいぶんお金がかかるものなんです。特に、家庭の収入と比べて考えれば…。ええ、英語は中学校で教え始められます。始められますけども、全国的ににみれば、ほとんど半数の子供たちは高校に進めないというのがわたしたちの現実です。そんな短い期間の教育では流暢な英語は話せるようになりませんよね。ですから、もし、あなたの周囲にすらすら英語が話せる人がいたら、それは…」

  高野さんは真剣に耳を傾けてくれていた。…真剣すぎるほど真剣に。

  わたしはつづけた。「そのりっぱな英語を聞いて、人は〈あの人は少なくともカレッジ教育を受けた人だ〉って、ですから、〈あの人の家庭はあの人をカレッジに行かせる程度には裕福なんだ〉って思うはずです。分かるでしょう?英語がじょうずに話せるということは、その人がどれだけ努力したかではなくて、そうではなくて、その人が、その人の家庭がどのぐらい豊かかってことを示しているんです。単純なんです。…高野さん、あなたがおっしゃるように、英語がじょうずに話せなかったら、わたしたちは恥ずかしいと感じるかもしれません。でもそれは、英語が公用語の一つなのに、ではありません。話せないことで、必要なお金がなかったために教育が受けられなかった―教育を受けさせてもらえなかった―ことがみなにたちまち知れてしまうからなんです。恥ずかしいと感じる理由はそれだけです。英語なんて話せなくても暮らしていけます。でも、お金がないと…。ソレ、ハズカシイ デショ?」

          ※

  どこまで本気で自分がそんな意見を口にしているのかが、わたしにはよく分かっていなかった。…自分は、結局は、カレッジを出そこなってしまったのだ、という後悔めいた気持ちが胸の中のどこかにあることには気づいていたけれども。

  だから、わたしは急いで言い足した。「でも、これはわたしの個人的な意見にすぎません。ほかの人たちにはまた、ほかの人たちの意見があるはずです」

  高野さんはゆっくりわたしに向かってうなずいた。

  愚かなことに、その瞬間までわたしは、タガログ訛りが強い、すこぶる流暢というところからはほど遠い、そんなわたしの英語を高野さんはどう受け取っているのだろうか、というふうには考えていなかった。

     <4>につづく