ルソン島北部への旅 3泊4日 ( 2007年12月7日 )
ステアク・エッセイ =67=
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メトロマニラはきょう12月7日午前現在、まだ雨季が明けきっていなようです。けさも高曇り、いつ雨がぱらつき始めてもおかしくないといった空模様になっています。
3日日曜日から6日水曜日まで、ルソン島北部の西側をドライヴ旅行してきました。
訪ねたのはラ・ウニオン州のサン・フェルナンドのビーチ、そこからさらに北に走ってイロコス・スール州のヴィガン、そして帰途に山岳部に入ってベンゲット州のバギオの3個所です。
日曜日の朝、ありがたいことに、メトロ・マニラの空は快晴でした。
週日は交通渋滞がいたるところで早朝から見られる首都圏の道路も、車の流れはすこぶる順調で、カロオカン市から北へ伸びる高速有料道路North Luzon Expresswayの入り口までの(運が悪い日なら1時間半ぐらいかかることもある)道のりを30分たらずで行き着きました。
幸先の良い出だしでした。
この高速道路はパンパンガ州の(ときどき噴火して近辺住民を苦しめるあのピナトゥボ火山から遠くない)アンヘレス・シティーの少し北までつづいています。全長84kmの(国際的基準に達した、フィリピン随一の)すばらしい道路です。
そこからは(よく舗装されたり、かなり穴だらけだったりする)一般道路を北上し、タルラック(タルラック州)、ウルダネータ(パンガシナン州)、シソン(同)などの大小の市や町を走りぬけるだけ。自宅を出てからほぼ5時間後には、ビーチ・リゾート・ホテルが幹線道路沿いに点在するブアング(ラ・ウニオン州)に到着しました。
第一日目の宿は、そのブアングのすぐ北側の市、サン・フェルナンド(の小型機専用の空港のすぐ隣)にある<サンセット・ベイ・ビーチ・リゾート>というホテルと決めていました。
サン・フェルナンドからの道が分からず時間がかかったものの、とにかくたどり着いたホテルは、アメリカや日本の基準からいえば、ささやかというか、つつましやかというか、とにかくこじんまりとしたものでしたが、まさしくビーチ・ホテル。すぐそばの浜に南シナ海(?)の温かい波がゆったりと打ち寄せては返していました。
意外だったのは、このホテルのオーナーだという人物が、フィリピンに移住してきて間もないイギリス人だったこと。長年住んだ香港から移住してきたのだということでした。「(フィリピンは)美しい国だから」とその理由を語っていましたよ。
全14室。宿泊客は、わたしのほかに4、5人。すべてアメリカ人のようでした。
翌月曜日は3時間あまりかけてイロコス・スール州のヴィガンへ。
ここは1999年にUNESCOが世界遺産に指定した町です。クリソロゴ・ストリートに<アジアで最もよく保存されたスペイン植民地時代の街並み>が残されています。
観光用のカレッサ(二輪の馬車)の御者(ドライヴァー)は「バスだとマニラまで9時間かかる」と言っていました。日本からの短期間の旅行者にはちょっと遠すぎるかもしれませんが、長期滞在者には<行ってみる価値あり>の場所の一つだと感じました。
ちなみに、この町でのカレッサの利用料金は1時間で100ペソ。マニラの観光用カレッサのフッカケ料金に比べると、きわめて(思わず感動してしまうぐらいに)良心的なものでした。
3日目、マニラへの帰途で立ち寄ったバギオは、日本人にも(比較的に)よく知られた<フィリピンの夏季の首都>です。海抜1400~1500メーターの高地にあって<豊かなフィリピン人の避暑地>になっているわけです。
バギオ市のロータリー・クラブのリーフレットには<フィリピンで最も清潔で、最も緑が多い、よく都会化した都市の一つ>と紹介してあります。
観光の中心地は、いまでも、真ん中に(ボート遊びができる)池があるバーンハム公園と、その近くのセッション・ロード、シティー・マーケットといったところのようでしたが、1984年に訪ねたときと比べると、市内には人と車の数がずいぶん増えていました。
リーフレットにいう<都会化>は(皮肉なことに)混雑という形でいちばん明らかになっているように思えました。
4日目は早朝にバギオのホテルを出て、一路マニラへ。
途中に点在する大き目の町でもたいした交通渋滞には出合わず、5時間半ほどで自宅に帰り着きました。
ありがたいことに、出発前に恐れていた降雨は、マニラまで100kmという辺りまで近づいたころに空の曇が厚くなり、間もなく小雨がウィンドシールドをたたくようになるまで、一度もありませんでした。
距離でおよそ900KM。運転時間でほぼ18時間のドライヴ旅行でした。
あちこちで美しい景色を眺めることができたし、フレンドリーな人たちにも多く出会いました。
「警官がやって来た!」
モンタレイパーク。1990年代の半ばごろ。ある日の夕方近く…。
わたしのアパートがある二階への階段を、大きな足音を立てて人が上がってきた。制服警官だった。警官はいきなり「911に電話したか?」と尋ねてきた。わたしは<違う家に駆けつけるようでは、警察も頼りないな>と感じながら「いいえ」と答えた。だが…。よく見ると、警官の表情は、どういうわけだか、青ざめて見えるほど緊張している。「いま、ここには、あなた一人だけか?」「ええ」「子供がいるのでは?」「子供はいない」と答えたのだが、警官は信用しない。「中を見せてもらっていいか」「もちろん」
その、警官が中を見終えるまでの短いあいだに、わたしは重大な“事実”思い出した。「ああ、さっき電話機をクリーンしたんです。そのとき、もしかしたら。偶然に911を…」。あきれきった(いくらか軽蔑がまじった)表情で警官がわたしを見ていた。「気をつけてよ!」
警官は去った。<子供か!>と思った。親などに暴力を受けている子供が、おとなの目を盗んで911に電話をかけて助けを求める…。ありそうな話だった。
それから何年も経ってから、ディーン・クーンツの小説「ヴェロシティー」(BANTAM BOOKS)を読んだ。真犯人(連続殺人犯)が主人公を犯人にでっち上げようと、主人公の自宅に被害者の一人の死体を持ち込んだ上で、その家の電話機を使って911を呼び出し、何も語らずに切る。間もなく保安官助手が駆けつけてくる。死体を発見されてその犯人にされたくない主人公は戸口で嘘を並べることになる。まずは<番号案内411と間違えて911にかけてしまったのだ>というが、保安官助手はそれを信じない。疑ったのは、幼児・児童虐待。モンタレイパークでわたしが体験したこととおなじだ。だが、仕事熱心なこの保安官助手はさらにつづけて、拉致・誘拐・監禁の可能性を疑う…。救出を求める被害者からの電話だったかも。
そこまで読んだとき、<あ、そうか!>と思った。<モンタレイパークのあの警官も、一時的だったにしろ、これは誘拐・監禁事件だってこともありえる、と疑っていたのだ!だから、あのとき、あれほど緊張していたのだ!>。
…“いかにもアメリカ”。長いあいだの謎が解けた瞬間だった。
第219回 こんな文を書く記者が“言葉狩り”に走る
テレヴィのNHKニュースで読まれる記事の文章がますますひどいものになっています。一つの文の前半と後半を論理的につないで書ける記者たちが消えてしまいました。それを正しく書き直すことができる編集者たちもいなくなっているようです。
「一つの文の前半と後半を論理的につないで」書くことができない記者は、当然のことながら、取材先で聞いた話を論理的に受けとめることもできないだろうと考えられます。そこが大きな問題です。
思い出してください。ある大臣による「津波から逃げなかったばか」発言。この発言を全体として受けとめれば、「津波から逃げなかったのは(みんな)ばか者だ」とあの大臣が言ったわけではないことはあまりにも明らかです。逃げなかった友人の決断を悔しがって=友人の死を惜しんで=の発言だったことは疑いありません。それを歪めて解釈し、歪めた記事にして、「津波被害者の家族などの感情を傷つけるものだ」などと発言者を追い詰めて“正義”の記事を書いたつもりになる?
自分が書く文の前後のつながりの良し悪しが分からないということは、つまりは、ある言葉を文脈の中で正しく判断することができないということです。そんな無能な記者たちだけがあの「津波から逃げなかったばか」発言騒動を起こしたのであれば、いくらかは救われもしますが、日本全体にとって不幸なことに、あの発言者の意図に理解を示す記事を書いた第一線の記者はほとんどいなかったようです。
いまの報道界は“言葉狩り”しかできない類の記者たちだけの世界になっているということですね。
読まれるニュースを書き写すのでは正確さに問題が残ります。ですから、ここでは、NHKのインターネット・サイト=NEWS WEB=の“書かれた”記事を扱います。下のいくつかの悪文例を見てください。
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まずは【バンコク 大潮迎え厳戒態勢】(10月28日 4時2分)という記事から二文。
+++<27日はプミポン国王が入院しているバンコク中心部の病院の敷地にも川の水が入り込み、軍が土のうを積み上げて被害を最小限に抑える対応に当たっていました>
<川の水が入り込み>と書けば(日本語には主語という概念はないという学者もいるようですが)それにつづく内容は<水が>を受けて、「救急車4台を使用不能にした」などといった、その<川の水>の浸水が<病院の敷地>でどういう害を引き起こしたか、を告げるものになるのが論理的で合理的な展開というものです。<軍が土のうを積み上げて>とつづけるためには、たとえば、「川の水が入り込んだために」となっていなければなりません。もちろん「川の水が入り込んだ、プミボン国王が入院しているバンコク中心部の病院の敷地では27日、軍が土のうを積み上げて…」あるいは「プミボン国王が入院しているバンコク市内の病院では27日、敷地内に入り込んだ水を軍が土のうを積み上げて…」という書き方もありますが、いまのNHKにはこういうふうに書くことができる記者はいないようです。
+++<タイのインラック首相は、最悪の場合、バンコク中心部を含む地域で深さ10センチから最大1メートル50センチに達する浸水被害を受けるおそれがあるという予測を示しており、軍や警察が川沿いに要員を配置して水位の変化を監視するなど厳戒態勢をとっています>
「予測を示して」いるのはインラック首相なのですから、これに続く個所に<軍や警察が>という(“主語”に当たる)言葉を重ねて持ってきてはいけません。ここは「…予測を示し、川沿いに要員を配置して水位の変化を監視するなどの警戒態勢をとるように、軍や警察に指示しています」とでもならなければなりません。「最悪の場合、バンコク中心部を含む地域で深さ10センチから最大1メートル50センチに達する浸水被害を受けるおそれがあるというインラック首相の予測を受けて、軍や警察が川沿いに要員を配置して…」でもいいでしょう。
次は【トルコ地震 100時間過ぎて救出】(10月28日 12時21分)から。
+++<トルコ東部のワン県で23日に起きた地震は、発生から5日目に入り、これまでに534人が死亡し、およそ2300人がけがをしています>
<地震は、発生から5日目に入り>とあれば、読者はこのあとには、たとえば「余震はほぼなくなりましたが…」などといった<地震>自体の説明があるものと“期待”します。どうしても<これまでに534人が死亡し…>とつづけたければ、「23日の地震発生以来5日目になるトルコ東部のワン県では、これまでに…」という具合に書くべきでしょう。
<これまでに534人が死亡し、およそ2300人がけがをしています>というのもNHKに典型的な非論理的な表現です。死亡者数もけが人の数も<これまでに>“確認”されたものです。現実には、瓦礫の下などにまだ、これまでに死亡した人たち、負傷した人たちがいる可能性があります。ですから、ここは「これまでに534人の死亡と、およそ2300人の負傷が確認されています」とでも書かなければ、正しい報道をしたとはいえません。
+++<少年は、すぐに救急車で病院に搬送され、けがはしているものの命に別状はないということです>
<病院に搬送され>たぐらいだから<少年>は大けがをしているのかもしれないと読者は感じます。ですから、<けがはしているものの命に別状はない>のなら「病院に搬送されましたが、けがはしているものの命に別状はない…」と書くのが自然です。「(このあと)すぐに救急車で病院に搬送された少年は、けがはしているものの…」という書き方はもっと自然だといえます。
三番目は【小沢氏裁判 石川議員改めて否認】(10月28日 12時21分)
+++<検察官役の指定弁護士は、小沢元代表と石川議員らの日頃の関係から、小沢元代表に無断で行動できなかったはずだと主張していて、指定弁護士が小沢元代表の自宅での生活について質問すると、石川議員は「小沢先生からは日頃から節約を心がけるように言われ、コピー用紙は裏紙を使うよう指示されていた」などと述べました>
これは最悪の文だといえます。<検察官役の指定弁護士は…と主張していて、指定弁護士が小沢元代表の自宅での生活について質問すると…>ですって?どんな歪んだ頭があるとこんな歪んだ文が書けるのでしょうか?こんんなふうに醜く<指定弁護士>(“主語”に当たる)を重ねる理由はまったくありません。ここは、どう考えてみても「小沢元代表と石川議員らの日頃の関係から、小沢元代表に無断で行動できなかったはずだ、と主張している検察官役の指定弁護士が小沢元代表の自宅での生活について質問すると、石川議員は…」と、一方の<指定弁護士>を外して書けばすっきりするところです。
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いまのNHKニュースには“書き方上の大問題”があります。
上にあげ記事文の前半の終わり方、後半へのつなぎ方を見てください。
「川の水が入り込み」「予測を示しており」「5日目に入り」「病院に搬送され」「主張していて」
つまりは、「川の水が入り込んだために」でも、「予測を示したことを受けて」でも、「5日目に入った時点で判明しているところでは」でも、「病院に搬送されはしましたが」でも、「主張したあと」(小沢元代表の自宅での生活について質問すると)でもないのです。すべてが、文の前半をその締めくくりにどうつなぐかを考えないで、大雑把に書かれたものなのです。
こんな書き方しか知らない記者にまともな取材ができるはずはありません。まともな取材ができない記者にできることは“言葉狩り”ぐらいしかないのかもしれません。
NHKは、いえ、報道界は自省すべきです。危機感を抱くべきです。記者の能力を上げるために最大限の努力をしなければなりません。
再掲載 第224回 再び 再び “悪文”について
日本人の頭脳はどうなってしまったのでしょうかね?
まっとうな日本語を書くことができる報道機関がなくなってしまったようです。書いている記事が変だと感じるだけの知性を持たない報道機関だらけに日本はなっています。「苦言熟考」の第223回でも指摘したNHKだけがそうなのではありません。
最大の問題は、報道機関が発信しつづけるさまざまな“悪文”を、疑念を抱くことなく読んでいるうちに、日本人全体の頭脳が整合性を欠くものになってしまう=日本人には論理的な思考ができなくなってしまう、いや、もう、そうなってしまっている、というところにあります。
政治家や官僚たちの最近の低次元発言を思い出してください。自分が何を言うべきか、何を言ってはならないかを深く考える前に口を開く者が後を絶ちません。建設的な対案を提示しないで相手の論を非難するだけの無責任な人間が大きな顔でのさばっています。
何が正しいかについて深く考えない“悪文思考”が世の中の主流を占めるようにさえなっているのです。すこぶる危険な事態です。
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自分が何をどう書くかを十分には考えないうちに文を書き始めるとこうなる、という例を下にいくつか挙げます。念のために付言しておきますと、報道機関が発信するニュースの中にこの手の“悪文”を見つけるのは実に簡単です。“悪文”はほとんどどこででも、いくらでも見られます。
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【毛皮の販売はNO! 米の市議会、条例可決 全米で初】(朝日 2011年11月25日1時36分)
<米ウェストハリウッド市議会が、毛皮の衣料品販売を禁じる条例を可決した。全米でも初めてだといい、2013年9月に施行する>
気持ちよく読めましたか?<全米でも初めてだといい、2013年に施行する>ですって?他人に読んでもらう文章を書いたことがない者同士の日常会話でですらこんな醜い言い方はしませんよね。
なぜ「米ウェストハリウッド市議会が(X月X日)、全米で初めて、毛皮の衣料品販売を禁じる条例を可決した」ではいけないのでしょうか?<全米でも初めてだといい>というのなら、いったいだれがそう言っているのです?ほんとうに<初めて>なのですか?はっきりさせるべきではありませんか?それが明確にできないのだったのなら、せめて「全米でも初めてだと見られている」ぐらいにしておくべきだったのでは?
こう書き換えてみてはどうでしょう?「米ウェストハリウッド市議会で(X月X日に)、毛皮の衣料品販売を禁じる条例が可決された。2013年9月に施行される。(同市議会によると)この種の条例が可決されたのは全米で初めて」。ふた昔前の記者たちはほとんどがこんなふうに書いていたはずです。
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【ソフトバンク、韓国・サムスンに9―0 アジアシリーズ】(朝日 2011年11月26日18時36分)
<日本、韓国、台湾、豪州の各プロ野球リーグ王者で争うアジアシリーズは26日、台中(台湾)で1次リーグがあり、ソフトバンク(日本)はサムスン(韓国)に9―0で勝ち、2連勝とした>
いま日本中に蔓延している、“あり”“おり”“いて”などで安易に文をつなぐという悪弊の典型的な例ですね。こういった言葉の前後で、意味するところがうまくつながっていない、というのがその特徴です。
<アジアシリーズは26日、…1次リーグがあり>という部分の稚拙さは問わないことにして言いますと、意味の上では、<1次リーグがあり>とあれば、その<1次リーグ>自体についての説明がなければ文全体が落ち着きません。たとえば「1次リーグがあり、主催者の予想を大きく超えて2万人の観衆が試合を楽しんだ」などといったふうに…。この文中で最初に想定されている“主語”<1次リーグ>にいきなり新たな“主語”(ここではソフトバンク)を重ねるのは間違いです。文全体の“主語”の地位を<ソフトバンク>に与えたいのなら、たとえば、「台湾の台中市で開催されている、日本、韓国、台湾、豪州の各プロ野球リーグ王者で争うアジアシリーズの1次リーグで26日、(XXとの第1戦にX対Xで勝利していた)ソフトバンク(日本)がサムスン(韓国)に9−0で勝ち、通算成績を2勝とした」などといった書き方にならなければなりません。
ちなみに<テニスの全日本選手権最終日は13日、東京・有明テニスの森公園で男子シングルス決勝が行われ、第3シードの守屋宏紀が5―7、7―6、6―2で第1シードの伊藤竜馬を破り、初優勝した>(出所失念)も同様の“悪文”です。「東京・有明テニスの森公園で13日に行われた全日本選手権男子シングルス決勝戦で、第3シードの守屋宏紀は…」と直せば読みやすくなります。
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【小沢グループ議員、続々造反…原子力協定採決で】(2011年12月7日00時34分 読売新聞)
<造反者には小沢一郎元代表グループの当選1回の議員が目立ち、平野博文国会対策委員長は6日の記者会見で造反者の処分を検討するとした>
ひどい、正真正銘の悪文です。ここでは<目立ち>というつなぎ方が問題の元凶となっています。<当選1回の議員が目立ち>と書いたあとには、当然のことながら、<当選1回の議員>についての説明、記述がなければ、整合性がある文が成り立ちません。それをしなかったために、ここでは、目立ったことが<処分を検討する>原因であるかのように書かれてしまっています。
「小沢一郎元代表グループ(内)の当選1回の議員が目立った造反者について、平野博文国会対策委員長は6日の記者会見で<処分を検討する>と語った」とでもする方がうんと自然だと思いませんか?
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悪文は粗雑な思考の元になります。
悪文に慣れきってしまうと、自分がどんなに愚かなことを言っても、それに気づかなくなりますし、他人が間違ったことをいっているのに、それに気づかなくなります。人間が無責任になってしまいます。
悪文は日本を無責任で非生産的な国にしてしまいます。
たかが一つの文の前半と後半を論理的につなげない頭で、たとえば、国政がちゃんと論じられると思いますか?日本の深刻な財政危機や少子高齢化、環太平洋戦略的経済連携協(TTP)などについてまともな思考ができると思いますか?
再掲載: 第32回 改題再掲載 翻訳はホントウニ難しい!! (2)
きょうは<翻訳で遊ぼう 上級篇>という副題をつけておきますね。
今回も材料として<エッセイ31>と同じく「REASONABLE DOUBT」Philip Friedman (IVY Book)と(出版社・訳者名は伏せたまま)その日本語版を使わせてもらいます。
まず、下の日本語訳から見てください。ここでは、弁護士ライアンは、殺された自分の息子―ネッド―が、組織犯罪グループから出ているカネを自分のビジネスを通して“洗浄”してやって不当に稼いでいたのではないか、さらには、その過程でそのグループを怒らせるような何かをしでかして殺されたという可能性もあるのではないか、と考えています。
「これをもう少し徹底して追求してみるべきだな。金を追え、と必ず言ったものだ…よし、ネッドが資金を洗浄しており、トンネルの先で金を受け取る方法を見つけたと仮定しよう」
分かりますか?この日本語が?「トンネルの先で金を受け取る方法」ってどういうのでしょう?こういう具合にわけの分からないことが書いてあったら、そこは誤訳されていると思って間違いありません。
その部分の原文はこうです。ライアンが言います。
“We have to push this harder. Follow the money, we always used to say…Okay, let’s assume Ned was laundering money and find a way to get at it from the other end.”
<the other end>とはありますが<トンネル>という単語は見当たりません。想像力を最大限に発揮して<the other end>(向こうの端)から「トンネル」を思いついたのでしょうが、想像力をこういうふうにアクロバットか手品のように翻訳者が使っているときは―わたし自身の苦い経験からいうと―その訳はほとんど間違っています。
ええ、やはり、ここでも間違っているわけです。
どこで間違いが起こったか分かりますか?英文を見てください。
<Ned was laundering>は<過去進行形>ですね。
では「金を受け取る方法を見つけた」の「見つけた」は?
あれ、変ですね。<find>となっていて、過去形の<found>ではありませんね。時制が一致していませんね。
翻訳者はここの違いに気づいていません。なぜ<find>なのでしょう?
さあ、ここからは話がいくらか「上級篇」っぽくなります。
そうなのです!ここが<found>ではなくて<find>なのは、この単語が<assume>(仮定する。みなす)と並んで<let’s>を受けているからなのです。ライアンは<let’s find>と言っているのです。<find>の意味上の主語はネッドではなくてライアンとミラーなのです。
ですから、ここの訳は、たとえば、「−−ネッドが資金を洗浄していると仮定したうえで、僕らは <反対側>からそのカネの動きにたどりつける道を見つけようじゃないか」とでもなるべきです。
<反対側>というのは<カネの出どころ>ではないかとライアンが疑っている<組織犯罪グループ>を指しているわけです。
そのことは、この言葉のすぐあとに、いっしょに仕事をしている弁護士ミラーに向かってライアンが「君の事務所には麻薬を扱っている顧客もいるのではないかな」と(皮肉とも聞こえる)質問をして(ミラーを不快にさせて)いることからも察することができます。
いやいや、ここでは戯れに「上級!!」とうたいましたが、プロの翻訳者がこのような簡単な文法上の間違いを犯していけません。間違いで読者を混乱させ<読書なんて面白くない>と感じさせてはなりません。
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「中級」で、もう少しだけ遊んでみますか?
ネッド殺人事件で、ついに公判の初日の朝がやって来ました。ところが、精神的に追い詰められてしまった弁護士ライアンはその前夜にひどい深酒をしてしまい、法廷に立つどころか自宅から出ることもできない状態になっています。
裁判開始が遅れたことが面白くない判事の<医者による診断書を出せ>という要求に応じるために、ジェニファーの共同弁護人であるミラーが知人の医者を呼びました。
それからこういう話になります。
「判事は一日延期するについて、条件を一つ出しました。医師の診断書が必要なんですって。児童の欠席みたいに。ミッキイはインフルエンザのため今日は法廷を欠席します」ミラーは軽蔑しきったように言った。
特にといって分かりにくいところはない訳ですよね。
ところが…。「ミッキイ」がいけません。原文では実は<Mikey>(マイキイ)となっているのです。
<Mikey can’t come to court today because he has flu.>
ライアンのファースト・ネイムは<マイケル>(Michael)です。その愛称は<マイク>(Mike)。そして、そのマイクが子供のころに(愛情をこめて)<マイキイ>と呼ばれることがあるわけです。あえて日本語にすると<マイちゃん>という感じでしょうか……。
息子のネッドに子が、つまり自分に孫ができるかもしれないという年齢のライアンに向かってミラーが「マイちゃんは流感のため今日は法廷を欠席するの」と言ったのだったら、それは、なるほど、ライアンの失態を責めているようにも、ライアンを「軽蔑しきった」ようにも聞こえたかもしれません。
<ミッキイ>では間が抜けています。的外れです。
<マイキイ>を<ミッキイ>に勝手に変える…。こんな程度でも、自分の都合のいいように原文を変えてから翻訳するというのは倫理違反ではないでしょうか?
何もそこまでいわなくても?単純な間違いかもしれないじゃない?
いえ、この翻訳本には、勝手に変えたと思える個所がほかにもあるのですよ。そのことについては、また別の機会に…。