再掲載 第94回 「野良犬に餌をアゲテオラレル老恩師」? 2011年7月25日

  <苦言熟考>(ステアク・エッセイ)では<日本語がおかしくなっている>という趣旨の文章をこれまでに何度か書いてきています。
  今回"問題"にしたいのは<"いられるいらっしゃる"と"おられる">と<"やる"と"あげる">の二つの混同例です。
  「わたしの恩師であるA先生は、近頃、近所の公園で野良犬に餌をアゲルことを趣味にしてオラレます」を例文にしょうか。
  "アゲル"と"オラレル"をカタカナにしたのは、言うまでもなく、この使い方がおかしいと思うからです。
  「わたしの恩師であるA先生は、近頃、近所の公園で野良犬に餌をやることを趣味にしていられますいらっしゃいます」の方が正しい(ふさわしい)と信じるからです。


  NHKテレヴィを見ていてすぐに気づくのは、いまの日本人は(NHKのアナウンサー、記者、解説者などを含めて)ほとんど例外なく「野良犬に餌をアゲテオラレル老恩師」式の日本語を使っています。
  NHKは率先して日本語を悪くしています。


  信頼できる国語辞典を見てみましょう。<新潮国語辞典 現代語・古語」>からここに該当する説明を抜き出します。
  【あげる】上げる・揚げる・挙げる ⑧(「与える」の謙譲語下から上に与えるのを下から見ていう)進呈する。さしあげる。
  <恩師>の<野良犬>への行為を<謙譲語>で言い表すのは、明らかに、おかしいのです。<恩師>は<野良犬>に<餌をやる>のであって<アゲル>ということはありえないのです。


  では<飼っているペットの犬に餌をアゲル>や<庭の朝顔に水をアゲル>は?
  この単語の本来の意味に従えば、そんな用法はやはり間違いです。
  こんな言い方がごく普通になったのは、たぶん、飼っているペットや育てている朝顔をかわいいと思う気持ちを(必要以上に)言葉に込めたがる人が増えたからです。ペットや観賞用の草花を自分の“上”に置くことで、自分の行動に何か高尚な意味があるかのように見せたがるように、多くの人たちがなってきたからです。


  【おる】(居る) (動詞の下に付き、動作・状態の継続の意味をそえる)…している。自分を卑下する語。また他人の動作を卑しめののしる語
  <野良犬>に餌をやっている<恩師>がその<野良犬>に対して自分を卑下するはずはありませんし、この文の書き手がここで<恩師>の動作を卑しめののしるつもりだとも思えません。「野良犬に餌をアゲテオラレル老恩師」というのは、やはり、間違っているのです。    


  一閣僚が「首相は相当に悩んでオラレました」というのはおかしいのです。「悩んでイラレ=イラッシャイました」と言うべきなのです。
  「出かける前に祖母に薬を飲ませてアゲテきました」はいいのですが「二階のヴェランダに布団を干してアゲテきました」は間違っています。


  こんなおかしな言葉遣いがはびこってきたのは、他者との距離・位置の取り方が日本人に分からなくなってきているからに違いありません。自分(の位置)が見えなくなってきているからだと思えます。社会全体として見れば、これは実に危険な状態です。


  時が移れば言葉は変わっていくものです。それは承知しています
  ですが…。
  日本人がいかに深刻な“自己喪失”に陥っているかが言葉遣いの変化で分かるとなると…
  日本が悪い方向に向かって進んでいるのではないかと思えてなりません。

 「野良犬に餌をヤッテイラッシャル老恩師」
 こんなまともな日本語をもっと聞きたいものだと思ってます。