再掲載 第34回 「英語であそぼう!」上級篇 第三弾!! 投稿日: 2007年3月12日

  今回は前回までとは少し異なったやり方で遊んでみましょう。

  問題の個所は文庫<下>の384ペイジです。
  ジェニファー裁判では陪審の評決がすでに出ており、量刑の宣告を待つ段階になっています。弁護士ライアンとキャシア・ミラーは控訴の準備をしています。そんなある日、二人の事務所に盗聴器がしかけられていたことが判明します。二人が雇っている調査員ローレンスがナシルという専門家に探させていたのです。

  その盗聴器のことをローレンスがライアンとミラーに説明しています。日本語訳をみてみましょう。

  「(略)とにかく、見つけたのはナシルの鋭い目のおかげでね。非常に精密な、最新型なんだ。録音装置そのものは、オフィスの外の管理人の戸棚の中にあり、WNEW局に近い周波数に合わせた、高速発信機もあった。そこから廊下の壁や仕切りに仕掛けられた極小マイクへ導電ペイントでつながっている。精度はあまり高くなさそうだ
  「要点だけちょこちょこ聞けたらいいのよ。何もモーツァルトを演奏しているんじゃないから」キャシアが言った。
  「誰かを責めたって仕方がない。どういうことなのか、考えてみよう」

          – – – – –

  わけが分からない文章ですね。特におかしいと思った個所がありましたか?

  まずは、「誰かを責めたって仕方がない」というライアンの言葉が分かりにくい―意味がとりにくい―のではありませんか?ここでライアンはキャシアが<誰かを責めて>いると言っているようですね。

  ですが、この日本語の流れからは、キャシアはむしろ<(仕掛けた誰かは)要点が聞けたらいいのだから、盗聴装置の精度は高くなくてもいい>と言っているように読めますよね?<誰かを責めて>いるようには読めませんよね?

  あ、もしかすると、訳者は「精度はあまり高くなさそうだ」と報告したローレンスをミラーが<責めて>いると解釈したのでしょうか?<甘く見ない方がいい>と言いたくて?
  そうだとすると…。でも、これも変ですよ。なぜといって、この方面に関して、弁護士のミラーはまったくのしろうとで、ローレンスとナシルはプロなのですよ。それに、仕掛けられた盗聴装置は<性能が悪い>方がいいわけでしょう?そう聞けばほっとするのが普通でしょう?そう報告したローレンスをミラーが<責める>理由はどこにもありませんよね。

  誤訳の匂いがしてきましたね。

  次に、「非常に精密な、最新型」なのに「精度はあまり高くなさそう」だというのもずいぶん変ですね。大きく矛盾していますよね。それとも<精度が高くない>のは<極小マイク>だけなのでしょうか?
  でも、「非常に精密な、最新型」の<録音装置>や<高速発信機>を備えつけていて、一方で<精度があまり高くない>マイクを使うなんてことがあるのでしょうかね?マイクも重要な道具でしょう?盗聴の?

  そもそも、誰かが本気で盗聴するつもりなら、そのための装置は全体として「非常に精密な、最新型」のものにするだろう、というのが筋が通った見方というものです。つまり、怪しいのは「精度はあまり高くなさそうだ」という個所です。ここは、どう考えても、逆に<精度はかなり高い>とする方が話の流れがすっきりします。

  では、ローレンスが<精度はかなり高い>と報告したとしてみましょう。
  すると、その報告とミラーの発言「(仕掛けた連中は)要点だけちょこちょこ聞けたらいいのよ。(わたしたちは)何もモーツァルトを演奏しているんじゃないから」との関係は?
  分かりますか?

  そうです!!

  ミラーは<(仕掛けた連中は)要点だけちょこちょこ聞けたらいいのだから、そんな性能のいい盗聴装置をすえつけなくったってよかったはずでしょう?>と言いたかったのです。
  そう受け取ったからこそ、ライアンは<誰かを責めたって仕方がない>と反応したのです。「誰か」とは、言うまでもなく、<仕掛けた誰か>のことです。
  ミラーは<仕掛けた誰か>を<責めて>いたのです。それで話が一貫します。意味が通ります。

  つまり、ここは①盗聴装置は全体で「非常に精密な、最新型」だった②ミラーは<そんなに性能がいい装置を仕掛けなくったって、目的は果たせたでしょうに>と(的外れの)不平を言った③ライアンは<そんなふうに誰かを責めて何にもならない>とミラーに言った―という流れになっていたわけです。

  どうやら、原文を見ないでも誤訳を正すことができたようですね。
  いえ、わたしはもちろん原文を読んでいるのですよ。でも、今回示したかったのは、悪い翻訳文は、このように、原文を読まなくても、どこが間違っているかの見当がつくことがあるということです。
  ここでは「精度はあまり高くなさそうだ」がそうでした。

  英語の方を見てみましょう。

          ———–

  “(略)In fact, it was Nassir’s eyeballing the place that found it. Very clever, latest stuff. The recorder itself was outside in a janitor’s closet with a squirt transmitter tuned close to WNEW . Hard wired with conducting paint to some pinpoint mikes in the corridor wall and the partitions. The fidelity can’t have been too good.
  “All they need is a few words here and there,” Kassia said. “We’re not playing Mozart.”
  “There’s no point blaming anybody,” Ryan said. “Let’s figure out what it means.”

          ———–

  The fidelity can’t have been too good.  が問題の文です。


  たとえば、<I guess (Apparently) the fidelity isn’t too good.>(…あまり高くなさそうだ)という文とは明らかに違っていますね。

  高校で習うのでしたっけ、次のような文の訳し方は?

  We cannot be too careful of cars. 我々はいくら車に注意しても注意しすぎることはない (「英和中辞典」旺文社)

  <cannot … too>の構文と呼ぶのでした?

  すると、<The fidelity can’t have been too good.>では?

  これは<We cannot be too careful of cars.>と同じ形の<Fidelity can’t be too good.>(性能というものはいくら良くても良すぎるということはないものだ)とは違っています。
  まず<The fidelity>と<the>がついています。その<the>で、ここでは、一般的な<性能>ではなくて<盗聴装置の性能>だということを示しているわけです。また<can’t be>ではなく<can’t have been>になっていますね。その時制で<仕掛け(られ)たときには>という含みを持たせているのだと思われます。

  つまり、ローレンスは<(誰かが仕掛けたとき、仕掛けた者にとって)その盗聴装置の性能はいくら良くても良すぎることはなかったはずだよ>と言っていたのですね。<手に入る中でも最高の盗聴装置を仕掛けたはずだよ>という意味です。

  そうだとすると…。もう一度、ミラーの反応をみましょう。
  <All they need is a few words here and there. We’re not playing Mozart.>
  ミラーはまさに<…わたしたちはモーツァルトを演奏しているのじゃないんですから(そんなにいい性能の盗聴装置を仕掛けなくてもよかったでしょうに)>と反応していたのです。

  日本語の文章だけを読んで見つけていた翻訳の間違いが原文を読んで確認されたようです。
  訳者は<cannot … too>がうまく訳せなかったのですね。

  本の翻訳を出版社が頼むとき、翻訳者にはどれぐらいの時間を与えるのでしょう?
  「合理的な疑い」(の誤訳の多さ)をみる限りでは、それはたぶん<驚くほど短い>と思えます。ですが、それは単行本にするときのことでしょう?
  その単行本を文庫本にするときは?

  単行本の間違いはまったく訂正しないようですね。誤訳を正す絶好の機会だと思えるのですが…。
  読者を甘くみているのでしょうね、出版社も翻訳者も。