第374回 “理性”や“論理性”を表現できない民族の国

  文章を追加することで、第111回の‘再掲載’を“第374回”に‘昇格’させました。
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  いまの日本は“反知性主義”に牛耳られている、と憂える論者が少なくないようですね。
  安倍晋三首相とその政策・信条を盲目的に支持する者たちがその“反知性主義”を代表している、ということのようです。
  つまり、そんな連中が好き勝手を繰り返しているのに批判されないどころか、むしろ支持されている日本は、全体としては、疾うに「“理性”や“論理性”を表現できない民族の国になって」いるわけです。
  日本人は筋を通して物を考えることができなくなってしまっているのです
  先の参議院議員選挙東京都知事選挙の結果がそのことを、否応なしに、明確に示しています。
  実がない饒舌をもてあそぶだけの似非愛国者たちに日本が支配される事態に陥ってしまうのを手助けしつづけてきたのが、NHKをはじめとする報道機関です。
  日本の報道機関は、全体としては、“反知性主義”の旗振り人に堕してしまっています。大政翼賛会が世論を牛耳った大日本帝国の時代の報道機関に、事実上、成り下がっています。
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  [2016年8月11日に追加] 「日本経済新聞」の「春秋」にこんな個所がありました(http://www.nikkei.com/article/DGXKZO05949400R10C16A8MM8000/)。
  <古代ギリシャの盟主アテネは黄金期を築いたペリクレスなきあと、扇動政治家が相次いだ。その一人のクレオンという人物の演説に、彼が市民たちをどう思っているか、つい正直に語ったくだりがある。歴史家トゥキュディデスが「戦史」(久保正彰訳)に記している。▼「諸君はつねづね、話を目で眺め、事実を耳で聞くという悪癖をつちかってきた」。口達者な者の話にはその通りと思って目を奪われ、事実を自分で見ずに耳から信じる、との意味だ。そんな市民の扇動は難しくないということらしい。「奇矯な論理でたぶらかされやすいことにかけては、諸君はまったく得がたいかも(・・)だ」>
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  「苦言熟考」は【第111回 日本語の劣化をNHKが進めている!】(2009-02-24)にこんなことを書いていました。
  <ここに挙げた例のように日本語がここまで安易に“劣化”していくことになると、日本語はしだいに幼稚な“感性”しか表現できない言語に堕ちていくのではないか、あるいは、日本人はますます“理性”や“論理性”を表現できない民族になっていくのではないか−。そんな恐れがあるような気がしてなりません
  初めから読んでください。
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  NHKには昔は<放送の中では日本語の規範となる美しい言葉づかいをする>というような気概と(麻生首相が好む単語)矜持があったように思うのですが、あの姿勢はこのごろ、いったいどこに行ってしまったのでしょう?
  <美しい言葉づかい>どころか、NHKはこのところ率先して日本語を“劣化”させています。
  どういうふうに“劣化”させているか?
  あえて単純に言い切ってしまうと<日本語を無分別・無思慮に“見出し化”することによって>ということができます。
  その例はいくつも挙げられますが、ここでは−
  <正直、驚きです>  <1>
  <原則、禁止です>  <2>
を取り上げておきます。
  いずれも、ニュース番組の中でアナウンサーが使った表現(を少しだけ単純化したもの)です。
  NHKのアナウンサーたち(と記事を書く記者たち)が「体言+です」を多用して日本語を醜くしているから、これを改めるべきだ−という主旨のエッセイを以前に書いたことがあります(「こんな言い方は耳障りですよ」)。
  上の<1>と<2>もその流れにはまっています。
  <1>は本来は<驚かせられてしまいました><驚きました>などと語られるべきところでしょう。
  <2>は<禁止されます><禁止されることになりました>という表現がふさわしいはずです。
  それが“成熟”した言葉づかいというものだと思いませんか?
  −と切り出しましたが、<1>と<2>には、実は、もっと重大で危機的な問題が含まれています。
  「正直」と「原則」の使い方が変だと思いませんか?
  「正直」や「原則」はいつから、それだけで「−−です」を修飾することができるようになったのでしょう?
  <現代国語例解辞典>(小学館)を見てみます。
  <1>「正直」には二つの機能があるとされています。第一には「名詞・形容動詞」としての、第二には「副詞」としての。
  上の例では「−−です」を修飾している形になっていますから、「正直」は「副詞」ふうに使われているわけですが、この辞書に挙げられている例文は<一人暮らしは正直言って寂しい>となっています。
  それが本来の使い方なのです。「正直」には「に言いますと」などといった言葉がつづかないと後の用言を修飾することができないのです。
  <1>は「正直に言わせていただきますと、すっかり驚かせられてしまいました」などという言い方が、本来のものなのです。
  上の辞典では、<2>の「原則」については<副詞的用法>の指摘すらありません。
  <2>は、たとえば、「原則としては禁止されることになります」というふうになっていなければならなかったのです。
  「正直に言わせていただきますと、すっかり驚かせられてしまいました」を「正直、驚きです」ですって?
  「原則としては禁止されることになります」が「原則、禁止です」ですませられる?
  日本語について、NHKは考え違いをしています。
  NHKは“現代ふう”な表現を流行させる役割などを担ってはなりません。
  NHKは文法を無視して、日本語をこんなふに“劣化”させてはなりません。言葉という文化をここまで醜く変化させてはなりません。
  言葉というものは時の流れとともに移り変わっていくものだ−というのは正しい指摘だと思っています。
  ですが…。
  ここに挙げた例のように日本語がここまで安易に“劣化”していくことになると、日本語はしだいに幼稚な“感性”しか表現できない言語に堕ちていくのではないか、あるいは、日本人はますます“理性”や“論理性”を表現できない民族になっていくのではないか−。そんな恐れがあるような気がしてなりません。
  英語に比べると、日本語は(それが最良の水準で使用される場合でも)理性や論理性を際立たせるのに問題や困難が多い言語のようだと日ごろ感じています。その日本語がさらに“劣化”を深めていくとなると−。
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  大嘘まみれの安倍自民党の広報機関にNHK成り果ててしまっている現状に目を据えてください
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   下は、これまでに書いた、言葉に関するエッセイのリストです。
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  第108回  日本のジョシはあまりにも虐げられている!
    http://d.hatena.ne.jp/kugen/20090125/1232849380

  第99回 お願いです こんな言葉づかいはやめてください
    http://d.hatena.ne.jp/kugen/20081109/1226213052

  第94回 「野良犬に餌をアゲテオラレル老恩師」?
    http://a20e.at.infoseek.co.jp/wssa-essay94.html

  第89回 <苦言熟考> ほとんど“死語”になった「叱る」「叱られる」
    http://d.hatena.ne.jp/kugen/20081109/1226211717

  第75回 「…たらいいと思う」はだらしない!
    http://a20e.at.infoseek.co.jp/wssa-essay75.html

  第70回 注目が“集まる”は変ではありませんか
    http://d.hatena.ne.jp/kugen/20081109/1226210458

  第38回 その“かな”はやはり「変じゃない“かな”」?
    http://a20e.at.infoseek.co.jp/wssa-essay38.html

  第4回  その「は」はすごく変ですよ
    http://a20e.at.infoseek.co.jp/wssa-essay04.html

  再掲載  こんな言い方は耳障りですよ
    http://d.hatena.ne.jp/kugen/20081107/1226037536

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